【獣医室から】陰ながら支えていました


  ゾウの担当になってまだ経験の浅かったころ、先輩の小谷さんがグラウンドで春子(2014.7.30死亡)と共に何もせずに過ごしている光景をよく見ましたが、ラニー博子との間にはそのような姿をあまり見かけられず、一見すると「春子ばっかり相手して…」と受け取られがちですが、しかし春子博子とでは人との関わり方が全く違うのです。

 博子のいるグラウンドに入ります。彼女は近づいてきてすぐに「何かくれ」と口を開けます。体の手入れやエンリッチメントなどいろんなことに対応してくれるのですが、これは全てはオヤツのため。春子のように何もせずに過ごそうとすると、やがて勝手に脚や背中を差し出し始めます。「脚さわらせたろ」「ホラ背中さわらしたろ」「さわらしたったから何かくれ」と押し付けるように口を開けます。それでも何もしないでいると、今度は徐々に苛立ち始め、「何の用やねん」「用もないのに何でおるんや」「食うモンないんか」とだんだん危険な空気が漂い始め、目つきや鼻の動きも危なくなります。
全身ブラッシングをしてあげようとしても、自分の気が済めば勝手に終わらせ、そのあげく「なんかくれ」本当に自己中心的なゾウなのです。

 しかし博子に悪意はないのです。幼少時をヒトに育てられゾウの群れ生活の経験のない博子は、純粋に仲間との付き合い方を知らないのです。他人を思いやる尊い生き方を、「ごめんなさい」がいえる大切さを、「ありがとう」のいえるすばらしさを彼女は知らないのです。
こんな彼女が私たちに唯一返してくれることが「努力」なのかもしれません。年齢の割には柔軟で努力家である博子は、不器用ながらも体や傷の手入れ、慣れない箇所への入室など春子にはできなかった対応をたくさんこなしてくれます。

 赤ちゃんの頃にママを亡くして心を病み、ゾウ使いでさえも「無理」という危険なゾウが、私たちに気を配って道を譲ったり我慢をしてくれたりするのです。他園の優秀なゾウにしてみれば、できて当然の気配りかもしれません。でも世界一不器用なゾウが普通の気配りをするためには世界一の努力が必要なはずです。ヒトの幼児の書いたひらがなが尊く思えるのと同様に、博子の細やかな努力は尊いものなのです。

 

最近のラニー博子

最近のラニー博子

贈呈式

贈呈式

幼少時ヒトと過ごしたラニー博子

幼少時ヒトと過ごしたラニー博子


(西村 慶太)

 

 

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