天王寺動物園「なきごえ」WEB版

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ホッキョクグマの繁殖

 天王寺動物園の一番南にホッキョクグマ舎があります。このホッキョクグマ舎は戦前の1933年(昭和8年)に建てられた天王寺動物園で最も古い動物舎です。野生では北の端に棲(す)むホッキョクグマですが天王寺動物園では南端で暮らしています。

 この冬、ホッキョクグマの繁殖に成功しましたのでその経緯についてお話しします。野生のホッキョクグマの雌は、冬から初夏のどこかで発情がみられ、この時期に交尾をした雌は秋にしっかりアザラシなどの脂肪を食べて体重を2倍ほどに増やし、その後10月から11月に巣穴を雪の中に掘り、その中で6カ月以上餌を食べることなく出産、育児をします。出産は主に11月から12月におこなわれます。巣穴の中は温度が安定しており、光も音もほとんどない環境です。子育て中の雌は発情が来ませんが、雌が子どもを失うとまた発情が来ます。ですから雄は自分が交尾するために子どもを殺してしまうことがあります。ですから子育て中の雌にとって雄は危険な存在です。

 動物園で繁殖を目指す場合、まず雌の発情の兆候を見極めて安全に雄と同居させてたくさん交尾してもらうこと、それから秋に餌を増量してできる限り体重を増やすこと、最後に母親が雄の存在を気にせずに納得して子育てする気になってくれるような巣穴(産室)を提供すること、これが重要です。

 2019年の12月頃からイッちゃんの行動が変わってきて、段々と遊びの時間が増えてきました。それまでもできるだけ活発に暮らしてもらおうと、いろんなオモチャを与えていましたが、この頃からは新しいオモチャを与えなくてもひとりでひたすら遊ぶようになり、なんか変だな…と思っていました。

 そのうち翌年の2020年1月にはゴーゴイッちゃんのことを徐々に気にするようになり、これはイッちゃんに発情が来ているのだなと思いました。イッちゃんは当時6歳でまだ雄と同居した経験がありません。発情が来ている確信はありましたが、同居した時に闘争になりゴーゴに恐れを感じてしまう可能性も捨てきれません。同居のタイミングは悩んだ末に2月25日の休園日にしました。万が一闘争になった場合、2頭を分けるための高圧放水車も用意しての同居です。

 最初は驚いて逃げ惑うイッちゃんでしたが、その日の午後には落ち着き、2頭で昼寝する程の仲になりました。それからはプールでじゃれ合ったり一緒にまったり過ごしたりと、とても仲睦まじい姿を見せてくれました。ゴーゴは決して強引なことはせず、イッちゃんのペースに合わせイッちゃんがその気になるのを待っているような接し方をしていました。

仲良く昼寝するゴーゴとイッちゃん

仲良く昼寝するゴーゴイッちゃん 

 そして3月12日の午前10時20分に、ついに念願の交尾を確認しました!それから10日間で合計11回の交尾が見られました。交尾回数としては十分。第一段階はクリアです。ここからはイッちゃんのお腹に受精卵があると仮定して準備をすすめました。

念願の交尾を確認

念願の交尾を確認

 次に取り組むべきは、長い絶食に耐えながら子育てできる体作りです。ホッキョクグマの本当の妊娠期間はだいたい60日ぐらいといわれています。しかしクマの仲間は着床遅延という、妊娠の開始を遅らせることができるという特徴を持っています。ですから早めに交尾しても遅めに交尾しても、妊娠の開始時期を調整することで決まった時期に出産することができます。こうすることで、厳しい環境の中でも最適な時期に出産、子育てができます。また逆に、秋にしっかり栄養を摂ることができず、このままでは子育てできそうにないという場合には妊娠自体を見送ることもできるのです。秋の栄養摂取はとても重要です。

 まずはイッちゃんの体重を知るために、体重測定のトレーニングを開始しました。「開始しました」といっていますが、実は私の前の担当者の頃から取り組んでおり、体重計を模した板の上にはちゃんと乗るようになっていました。それを引き継ぎ、板を少しずつ高くし段階的に本物の体重計でも乗ってくれるようになりました。5月に初めて量れたときは194kgでした。なるほど、ちょっと小柄かな?と思っていましたが、北極では夏は氷が小さくなってしまいアザラシが捕れず、空腹のまま過ごす季節なので、夏の間は餌を増やすことをしませんでした。それで8月に量ったら243kg・・・3カ月ほどで50kg増えていました!春から夏にかけては現状維持くらいにしておいて、9月から一気に餌を増やそうと考えていたのですが、思うようにはいきません・・・まぁ痩せるよりはいいか、と気を取り直し、9月からさらに太ってもらうために餌を増やしました。

体重測定のトレーニング

体重測定のトレーニング

 野生のホッキョクグマは主にアザラシの脂肪を食べています。イッちゃんにも脂肪をつけてもらおうと牛脂を与えました。実はイッちゃんは牛脂をあまり好きではなく、普段は残しがちだったのですが、9月から11月の間だけは好んで食べました。太るべき時期には好みも変わるのでしょうか?そうして餌の食べ残しが出るぐらいたくさん与え、いい感じに太ってくれましたが、ここまで太ると今度はトレーニングに応じなくなってしまいました・・・巣ごもり前の体重が一番知りたかったのですが、当のイッちゃんは餌に飽きてしまい、こちらの指示通りに動いてくれません。まあ見た目そうとう丸々しているし大丈夫だろうと自分にいいきかせ、第三段階である産室の準備をしました。

太ったイッちゃん

太ったイッちゃん

 天王寺動物園のすぐ南にはJRが走っており、南端にあるホッキョクグマ舎からは電車の音がよく聞こえます。その他にもパトカーや救急車のサイレンなど様々な騒音がひっきりなしに鳴っています。これらを完全に消すことは到底無理ですが、少しでも静かな環境を与えるために、動物舎の入口などに防音シートをはり、光も入ってこないように寝室の格子には全面、板で目隠しをしました。産室にはワラを大量に敷き、様子を観察できるよう三台の暗視カメラと一台の集音マイクをセットしました。
 10月20日に展示場に出すのをやめ、11月5日を最後に、餌を与えるのもやめました。そして11日10日からは飼育担当者も動物舎に近づくことをやめ、監視モニターで観察する日々が始まりました。
 イッちゃんは特に退屈そうにするでもなく、のんびり過ごしていましたが、そのうち産室のワラの上で寝る時間が増え、出産前にはほとんど一日中寝るようになりました。これは長い絶食期間を控えた雌が、できるだけエネルギーを節約しているのでは?と思い、いい兆候だと感じていました。

 そして11月26日、出勤していつものように監視モニターのスイッチを入れた瞬間、「ギャー、ギャー」ととても大きな鳴き声が聞こえてきて、赤ちゃんが生まれたことを知りました。繁殖に向けてできるだけの準備はしてきたつもりではありましたが、いざ本当に生まれたとなると一瞬面を食らった気持ちになりました。監視映像を見直し、2020年11月25日20時10分に出産したことを確認しました。

イッちゃんと赤ちゃん(赤丸が赤ちゃん)
(2020年11月26日 14時6分撮影)

イッちゃんと赤ちゃん(赤丸が赤ちゃん)
(2020年11月26日 14時6分撮影)

 しかしホッキョクグマの繁殖はここからが難しいといわれていて、出産があっても無事に育つ確率はとても低いのです。こちらが用意した産室の環境が気に入らなければ育児放棄してしまったり、赤ちゃんを食べてしまったりします。それぐらいホッキョクグマの母親は神経質なのです。

 産室のカメラは母親が安心できる場所をつくるために、あえて奥までは映らないようにしています。暗視カメラから出る赤外線を気にするかもしれないからです。ですから親子の様子は音声が頼りです。とりあえず大きな声で鳴いているので今現在生きているのはわかります。ただしこの先母親が赤ちゃんにミルクを与える気があるのかはわかりません。イッちゃんが赤ちゃんの世話をしないといずれ衰弱して死んでしまいます。もしその状態が長く続くようであれば、赤ちゃんを取り上げて人工哺育で育てることも考えないといけません。私が他の作業をしている間、担当獣医師に前日夜からの様子を調べてもらい、授乳があるかどうかを確認しました。ホッキョクグマの赤ちゃんはミルクを飲むときに、“ささ鳴き”という特有の音を出します。この“ささ鳴き”で授乳が行われているか調べることができます。

 その結果、11月25日の夜8時頃に出産があったこと、授乳も行われていること、どうやら双子が生まれていることなどがわかりました。

 授乳確認ができイッちゃんに育てる気があるのがわかってとてもほっとしたのと同時に、双子と聞いて不安もよぎりました。ホッキョクグマはよく双子を産みますが、双子を育てるにはそれなりの経験が必要なのです。今回が初めてのイッちゃんに双子は荷が重すぎるような気がしました。

 それでも生まれたからにはあとはイッちゃんを信じて見守るだけです。
がんばれイッちゃん!!

 出産したその日から、授乳がちゃんと行われているか確認することが毎朝の仕事になりました。“ささ鳴き”は基本的にだいたい2~3時間おきに聞こえてくるのですが、たまに8時間ぐらい間隔が空いたりしてとても心配になります。前担当者や他園のホッキョクグマの繁殖経験者の方に聞いたりしても、その日齢の頃にそんなに授乳間隔が長いことはなかったと返事をいただき、とても心配になりました。ただそんな日がずっと続くうちに、間隔が長くてもその間赤ちゃんは静かに寝ているようなので、この親子はこういうやり方なのだなと思えてきました。起きている間は頻繁に飲んで、寝る時は長時間寝る、そんな赤ちゃんのようです。

 ずっと授乳確認の作業を続けていくうちに、新たな不安も出てきました。相変わらず姿は見えず“ささ鳴き”だけが頼りなのですが、いつからか1頭分の声しか聴きとれないようになりました。もともと2頭が別々に鳴いていることがあまりなく、なかなか2頭が確認できなかったのですけど、いつからか全く確信が持てなくなりました。おとなしくしているだけでちゃんと無事でいるはず、と自分にいいきかせていましたが、子どもがある程度成長してきてカメラに映るところまで動くようになってくると、不安が的中していることがわかりました。いつまでたっても1頭しか映らないのです。映っている赤ちゃんはとても愛らしく、イッちゃんが愛情を注いでいるのは伝わってきます。でも2頭映ることはありませんでした。

 それからまた別の問題もあります。イッちゃんの脂肪のたくわえが底をつきそうになっているのです。野生のホッキョクグマは一番餌が豊富な時期でもだいたい5日に一度くらいしかアザラシが捕れないそうです。そして一度食べるとなると体重の20%ほどを一気に食べることができるそうです。体重200㎏の個体なら一度に40㎏食べることができるのです。つまり日頃から絶食と超飽食を繰り返しているのですが、動物園では毎日寝室に収容する必要があるため超飽食をさせることはできません。一日の餌は肉や魚、野菜などだいたい合計10㎏ぐらいです。もし40㎏も与えたら、お腹が減るまで数日は寝室に帰ってくれなくなるかもしれません。ですから動物園のホッキョクグマはもともとそこまでの絶食に慣れていないのでしょう。できるだけ体重は増やしたつもりだったのですが、12月半ば頃から産室に敷いたワラをいじる行動が見られるようになり、餌を探しているようでした。そのうちそのワラを食べるようになり、これは給餌に入らなくてはイッちゃんがもたないと思いました。

 しかし子育て中の母親はとても神経質です。担当者とはいえ人が入ることで、この場所は安全ではないと思われると、今後の子育てに悪影響が出るかもしれません。かといってこのまま様子を見ていてもいずれイッちゃんが子育てをやめてしまうかもしれません。悩んだ挙げ句、12月29日に給餌に入りました。まず同じ班の飼育員に、外暮らしが続いているゴーゴに給餌してもらい、ゴーゴイッちゃんの寝室の方に近寄らないようにし、その間に動物舎の電気はつけず、真っ暗の中、モニターでイッちゃんの様子を見ている担当獣医からの指示を無線で聞きながら入りました。担当獣医から「イッちゃんが興奮して赤ちゃんが危ない!」と指示が入れば即中止です。とても緊張して動物舎内を進みましたが、イッちゃんは警戒しながらも私が差し出す餌を食べてくれたので、安心してさっさと退室しました。それから以降は定期的に給餌に入るようにして、イッちゃんはもうワラを食べることはなくなりました。

寝室の中を気にするゴーゴ

寝室の中を気にするゴーゴ

 また、定期的に入室することでイッちゃん親子もあまり警戒しなくなってきたので、室内の掃除もできるようになりました。初めて産室に掃除に入った時、死んでしまったであろう赤ちゃんの遺体も探しましたがまったく形跡が見つかりませんでした。おそらくイッちゃんが食べたのだろうと思います。かわいそうですが死んでしまった子どもをそのままにしておくと腐敗して産室自体が不衛生になってしまいます。野生のホッキョクグマも匂いで雄グマに見つけられるのを防ぐため、死んでしまった子どもは食べているのだと思います。また、赤ちゃんの糞(ふん)もイッちゃんが食べているのかありませんでした。イッちゃんは初めての育児なのに感心することばかりです。ずっと暗視カメラ越しでしか見ていなかったのですが、何度も給餌に入り電気も付けられるようになり、肉眼で親子を見た時、イッちゃんはかなり汚れていたのですが赤ちゃんは真っ白でした。しっかり赤ちゃんをなめてきれいにしていることに感動しました。しかし赤ちゃんは2カ月を過ぎたころから急速に成長しだし、産室と寝室をよく行き来するようになり、さすがにちょっと汚れてきだしましたけど。

初めて肉眼で確認したイッちゃんの子ども

初めて肉眼で確認したイッちゃんの子ども

 イッちゃん親子のことばかり書いてきましたが、ゴーゴは去年の11月からずっと寝室に帰ることができず、屋外で暮らしていました。その間は屋外展示場の掃除も園路からホースで水をかけることしかできないので、落ち葉が溜まって腐葉土のようになり、プールの水を入れ替えてもすぐに汚れてしまい、とても悪い環境の中で暮らしていました。新しいホッキョクグマ舎をつくる時はこれを踏まえて、繁殖のことやその間の雄の暮らし、一生を通じて福祉に配慮したものをつくらないといけないと痛感しました。

外で寝るゴーゴ

外で寝るゴーゴ

 こんな感じで嬉(うれ)しいことや不安なことを繰り返し感じながら、ホッキョクグマの子育てという貴重な出来事を近くで見てこられたのはとてもいい経験です。

 ホッキョクグマは地球温暖化の影響を最も受けている動物のひとつです。動物園で繁殖に取り組み守っていきながら、たくさんの人にその現状や魅力を知ってもらえるように今後も努力していきたいと思います。

(油家 謙二)

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