公園花だより№74【慶沢園】


 今回は、慶沢園(けいたくえん)を紹介します。「慶沢園」はJR天王寺駅の北西に位置する、天王寺公園の一角にあります。平成27年3月末に園路補修工事を終えて4月1日より、リニューアルオープンをしました。

 もとは、第15代住友(すみとも)吉(きち)左(ざ)衛門(えもん)(春翠(しゅんすい))の茶臼山本邸の庭園として造られたものです。設計は木津聿斎(きづいっさい)、監督・施工は平安神宮神苑、円山公園、大原三千院など数々の庭園を手掛けた第7代小川治兵衛(おがわじへい)(植治(うえはる))によるものです。
住友家が茶臼山本邸用地の土地買収を始めたのは明治28年(1895)で、明治41年(1908)にはほぼ完了しました。翌42年から小川治兵衛(植治)が作庭に着手し、43年には作庭を終えました。茶臼山本邸は「慶沢園」完成後に着手され、大正4年(1915)に住友家の本邸が茶臼山に移された後も工事は続けられすべてが完成したのは大正7年でした。

慶沢園写真01

 

 大正10年には住友吉左衛門より茶臼山本邸を大阪市へ寄贈の申し出があり、住友家が兵庫県武庫郡住吉村に移った後は天王寺公園内の施設として現在に至っています。寄贈にあたっては(1)公園として使用し、美術館を建設すること(2)茶臼山は現形を保持し、みだりに増植・伐採をしないこと(3)一部でも公園として使用しない場合は返却すること等、6項目の条件が寄附願につけられ当時の第6代池上四郎市長に提出されました。

慶沢園写真02

 

 その後、戦中戦後の混乱期に著しく荒廃したため、昭和33年(1958)に復旧工事に着手し、庭園全体の改修が行われました。コンクリート製の庭園外周柵の新設、四阿(あずまや)の移築のほか中島にある黒松の移植なども行われましたが、石組の変更はなされませんでした。昭和34年5月には復旧工事も完了し、一般公開を開始しました。

 現在の美術館は昭和11年(1936)に本邸の書院跡に建築されたものです。また、茶臼山本邸の庭園は「慶沢園」以外にも書院の西側にも広がっており、その一部は現在も動物園の“鳥の楽園”脇に見ることができます。この“鳥の楽園”脇にある四阿の両側には、もともと「慶沢園」に据えられていたと思われる正応5年(1292)在銘の十三重石塔と高さ約2.5mの大石灯籠も置かれています。

慶沢園写真03

 

 また、庭造りはおおらかで勇壮さが特徴である大名庭園風となっています。中央にある大池と、そこに浮かぶ黒松を配した中島や岩の様子は大海を彷彿とさせます。また一枚岩を落ちる滝の流れの末や、池の随所に配置された軽快感を表す「沢飛び」、シャープな清潔さを漂わせる「切石橋」、軽妙な「竜頭(りゅうず)石(いし)」など様々な石の用い方に「植治」の手法が遺憾なく表現されています。「植治」の庭造りの特徴は、石の多用とさりげない配置にあります。加工石の例としては建築物の礎石や橋脚、臼石などの転用石があり、本庭園でも飛び石や蹲踞(つくばい)に臼石が使われているのが見られます。また滝の周辺以外では捨て石という手法を使い、庭石はできるだけ存在を主張しすぎないよう配慮されています。このような石の控え目な配置と、築山(つきやま)を始めとする庭園を取り囲むように群植されたアラカシやエノキ、クスノキなど、様々な樹木の景観が訪れる人々に庭園全体の安定感を与える要因にもなっています。庭園と対峙するのではなく、木々の懐に抱かれるように庭をめぐる爽快感は都会の中とは思えない趣を感じさせてくれます。

 皆さんも是非、一度訪れてみてはいかがでしょうか。


(杉之原 勝利)

 

【慶沢園のご案内】

・開園時間:9:00~17:00(入園は16:30まで)
・入園料 :大人150円 小中学生80円
・休園日 :月曜日(祝祭日の場合は翌日休園)

 

 

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