今から48年前の1970年5月3日大阪で開催された日本万国博覧会を記念してインド政府から生後6カ月体重260kgの子ゾウが贈られてきました。それがラニー博子(以下博子)です。ラクダ舎の寝室に収容し粉ミルクを調乳、哺乳しました。飲み終わると空の哺乳瓶を振り催促します。長旅に疲れたのか敷藁(しきわら)に横たわり鼻を丸めて眠りました。5月とはいえ夜は冷えるので毛布を掛けてやりました。私が舎外へ出ようとすると不安なのか急に起き上がり大声で鳴きます。朝になり運動のため博子と園内に出ました。テナガザルが博子に驚いて騒ぎます。それに驚いた博子は瞬間パニックなりましたがすぐに慣れ私の後を追ってきます。
日に日に成長し冬が近づき暖房設備のあるチンパンジー舎の調教場に移動することになりました。チンパンジーは博子に驚いて奇声を発し興奮状態。博子も環境に慣れずストレスがたまり体調を壊した時期もありました。
年を越し1971年、春暖かくなり暖房のない元のラクダ舎へ戻りました。5月5日は恒例の「象の目方を計る会」が催されこれを一目見ようと園内は人でいっぱい。当時あった地下道を通ってゾウ舎のある南園に向かいました。ユリ子、春子に続いて博子を計量台に乗せたところ560kgと出ました。1年で体重は倍以上になっていました。その頃の日課は朝、哺乳、離乳食のリンゴ、バナナ、青草を与え約200m離れた北園にあった仮設展示場まで歩いて行き繋留(けいりゅう)し、他の担当動物の飼育管理の合間に展示場に行き哺乳。夕方展示が終了した後、足につけている鎖を外すと一目散に走ってラクダ舎の寝室へ帰ります。哺乳、離乳食を与えると1日の終了です。
秋が過ぎ冬も過ぎ春になる頃にはラクダ舎では窮屈になり博子用の寝室をゾウ舎に増設することが検討されました。
博子との別れの日は1972年5月5日、地下道を歩いてゾウ舎へ。博子をゾウ担当者に引渡し、博子のゾウ舎での暮らしが始まり、2度と私と北園へ戻るとはありませんでした。その日の体重は900kg、来園時の3倍を超えていました。博子と暮らした2年間は私にとってかけがえなない想い出となりました。
退職して10余年、先日、園からの電話で博子の死を知り私より先に逝くとは考えもしなかったので驚きました。泥遊び、水浴び、必死に自転車の後を追って来る姿。あのあどけない表情、昨日のことのように思い起されます。
象の目方を計る会(5月5日)に特別参加して、あいきょうをふりまきました。
重さは260kgありました。
寝室から展示場までの道中。
お供の飼育係を従えての大名行列。
さぁ!仮収容舎に行こう。
(写真:「なきごえ」1970年6月号より)
(みうら まさあき)