最近、動物園ではエンリッチメントやハズバンダリートレーニングといった、少し前までは耳にしなかった言葉が盛んにいわれるようになってきました。簡単に説明すると、エンリッチメントとは飼育下動物の暮らしを豊かにするための取り組みで、ハズバンダリートレーニングとは飼育下動物の健康管理や治療などを、動物に無理強いすることなくスタッフも安全に、どちらも楽しみながら達成することを目的としたトレーニング方法です。
昔の動物園では「珍しい動物を見せれば入園客は満足し、動物たちは殺風景で無機質な檻(おり)に閉じ込められ、死んでも野生からまた連れてくれば済む」という感覚がありました。
フィーダー(給餌器)によるマレーグマのエンリッチメント
しかし環境破壊がすすむとともに野生動物に対する意識も変化し、生息地で減ってしまった動物は飼育下でしっかり繁殖を目指し動物園同士が協力することで個体数を維持し、また体だけじゃなく心の健康も目指すことが求められるようになってきました。つまり今まで以上に飼育技術の向上や飼育環境の改善、動物福祉への配慮が必要なわけです。
天王寺動物園は以前ZOO21計画という方針を掲げたときに、生態的展示という展示手法を取り入れました。これはそれぞれの動物をその動物の生息地に似せた環境で飼育することで、どんな環境で暮らしているのか?とか、その動物のふるさとでは現在どんなことが起こっているか?などを感じてもらうことを目的としています。
アジアの熱帯雨林ゾーン(ゾウ舎)やアフリカサバンナゾーンが生態的展示になりますが、このエリアのまわりには植物が多く動物にとっても過ごしやすそうに見えます。確かにコンクリートと檻(おり)の施設よりはストレスを軽減できそうに見えますよね。しかし動物舎とはそんな単純なものではなく、人間がパッと見て抱くイメージと実際にそこで暮らす動物の感覚に大きなギャップがあることもあります。とはいえ動物たちの心の中は見えません。日頃の行動や体重、ストレスのかかっていない状態で採った血液の数値などの目に見えるもので客観的に判断しないと自分たちの都合の良い解釈をしてしまいがちです。そのためにエンリッチメントやハズバンダリートレーニングが必要になってくるのです。
私はアフリカサバンナゾーンのキリンやシマウマがいるエリアを6年ほど担当しましたが、その6年の間にたくさんの動物が死にました。若いのに事故や病気で死なせてしまった動物もいれば長生きしてその動物の平均寿命以上にがんばってくれた動物もいます。しかしキリン、シマウマ、エランドの3種に共通して私が抱いているのは、老齢動物は運動場に出るスロープを昇り降りするのが困難になり、がんばって長生きしてくれたのに最後に苦しい思いをさせてしまったという苦い思い出が心に残ります。
アフリカサバンナゾーンの運動場に出るための急なスロープ
生態的展示では自然な環境を見せるために動物の寝室や扉などの人工物を極力隠さないといけません。広大な敷地があればそれも容易にできそうですが、天王寺動物園のアフリカサバンナゾーンの場合、そこまでの敷地がないので運動場を動物舎より高くし、坂を下ったところに寝室を配置することで入園客からは見えにくくしています。動物たちは朝スロープを上って運動場に出て夕方は下って寝室に帰ります。ですが年を取った動物は足腰も弱り、最後はスロープを通過できなくなってしまいます。つまり老齢動物や足を痛めた動物には暮らしにくい動物舎といえます。
野生ではそんな動物は天敵に食べられたりするのが自然なことなのでしょうが、動物園では最後までやすらかに暮らさせてあげるべきです。あのスロープをなんとかしたいところです。
それからその寝室の中身も重要です。入園客は開園中の午前9時30分から午後5時までしかいませんが、動物たちは24時間、365日そこで暮らしています。動物種によっては寝室のない動物舎で暮らしていますが、ほとんどの動物は午前9時過ぎから午後4時くらいまでの間しか運動場に出られません。つまり残りの17時間ほどは寝室で過ごしているのです。寝室を運動場と同じくらい広くするのは現実的に難しいでしょうが、それでも極力広くして寝室での暮らしを充実させないと、幸せな動物園生活は望めないでしょう。エンリッチメントとはお客様のための取り組みではありません。動物のためにするものなのです。いきいきしている動物を見ることで、入園客に楽しんでもらったり動物の能力を知っていただいたりすることは理想的なことですが、閉園後も動物にはいきいきしていてほしいです。それに寝室は動物が繁殖するうえでとても大切な場所です。母親が安心して子育てできるというのも寝室にもとめられる大切な条件でもあるのです。
1961年にできたクマ舎の狭い寝室
また檻(おり)で全面を囲われた動物舎はいかにもとらわれた感じがしますが、檻(おり)を無くして堀で囲うことで動物は堀を越えることができなくなり、見た目は開放的になり、悲壮感は大幅に消すことができます。この堀はモートと呼んだりしますが、水が張ってあるものを水モート、水がないものを空モートといいます。一見良く見えるこのモート方式ですが、事故も起きやすいので善し悪しの二面性を持っています。水モートに落ちて溺れてしまうこともありますし、垂直に切り立った深い空モートに落ちて大けがをした動物もいます。動物たちは普段モートには注意していても、動物同士の闘争などで片方がもう片方に落とされることもあるのです。モート方式を採用する場合、園路側は垂直にしておいて動物側は傾斜にして万が一落ちた場合もダメージを小さくするべきだと思います。しかし傾斜の角度を緩くすればするほどモート幅は広くなります。つまりこれも敷地が広くないと動物が利用できる敷地にしわ寄せがいくことになります。また、モート方式だと飼育員が容易に動物に接触することができないため、運動場ではハズバンダリートレーニングができなかったり、おもちゃやフィーダー(容器や消防ホースなどの中にエサを隠して動物たちに時間をかけてエサを探してもらうためのもの)を与えてもモートに落としたらおしまいといったデメリットもあります。エンリッチメントやハズバンダリートレーニングの点から見るとモート方式より檻(おり)で囲われている方がやりやすいという側面もあります。
モート形式のマレーグマの展示場
余剰動物の問題も考えないといけません。先に書いたように飼育動物の繁殖は目指していくべきですが、たいていの動物は一頭あるいは少数の雄と多数の雌で暮らします。ですが生まれてくる子どもは雄も雌もほぼ同じ確率です。つまり雄が余剰になりやすいのですが、こういう動物も新天地が見つかるまでしっかり幸福に飼育できるくらいのバックヤードが必要です。
天王寺動物園は一昨年、101計画という新しい方針を打ち出しました。この計画の中では今までの生態的展示から発展させて進化型生態的展示を推し進めることを明記しています。誰のための進化をするべきでしょう?お客様のためでしょうか?我々飼育員のためでしょうか?私はそこで一生を送る動物たちのために進化するべきだと思います。動物たちを幸せにすることができれば、それを見るお客様もきっと楽しみながら動物のことを学ぶことができると思うからです。
ZOO21計画やそれ以前につくられた動物舎には良い面もあまり良くない面もあります。これからつくられる動物舎は良い面だけを踏襲し悪い面は繰り返さないようにスタッフ全員でしっかり議論してつくっていかなければいけません。それが飼育下に置かれた動物たちの幸せにつながる唯一の方法ではないかと思っています。
(油家 謙二)