天王寺動物園「なきごえ」WEB版

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動物福祉の実践 ―環境エンリッチメントとハズバンダリートレーニング―

【はじめに】

 大牟田市動物園は福岡県の南端にある小さな動物園です。コンセプト『動物福祉を伝える動物園』を実践すべく、われわれ飼育スタッフは一丸となって、日々環境エンリッチメントやハズバンダリートレーニングに取り組んでいます。

 動物福祉も環境エンリッチメントもハズバンダリートレーニングも、普段は聞きなれない言葉かもしれません。動物が大好きな方にとっては、最近よく耳にすることが増えた言葉かもしれませんね。いずれも動物園で注目されている言葉です。しかし、ただの流行ではなく、今後、人と動物が関わる上で欠かすことのできない基本的なキーワードとなるものなのです。

 

【動物福祉とは?】

 動物福祉という言葉を聞いたことはありますか?良い動物福祉の状態とは簡単にいうと、『動物の心身ともに幸福な状態』を指します。「動物の『幸福』ってどういうこと?」と不思議に思われるかもしれません。動物は言葉や文字を使わないので、尋ねようがありませんし、人同士でも幸福と感じることは違いますよね。そのため、種の違う動物に人が幸福だと思うことをしても、幸福に感じるどころか、反対の結果を招くことさえあります。

 そこで、科学的な根拠に基づき、飢えや渇き、不快、痛みや病気、恐怖などから解放し、自然な行動を発現することが、動物福祉の基準として、動物園に限らず家畜や実験動物、ペットなどの様々な分野で世界的に受け入れられていますし動物福祉は必要な科学として、ますます発展していくと思われます。

【環境エンリッチメント】

 環境エンリッチメント(以下、エンリッチメント)とは、動物福祉への配慮の具体的な方策とされています。今回は当園でライオンたちに行った、『屠体(とたい)給餌』の例を紹介します。

 動物園は自然界と違って空腹になることも、ライバルに餌を奪われることもありません。しかし動物園は、厳しい自然界の中で進化してきた能力の多くを発揮できない、刺激が極端に少ない環境です。

 野生のライオンは、獲物を探し回り、見つけて忍び寄り、追いかけて仕留め、皮や骨をかき分けてようやく肉にありつきます。動物の死骸を食べることもありますが、それでも、死骸を探して、わずかに残った肉を骨から引きはがすなどの労力を要します。一方、動物園のライオンは特に探すこともなく、切り分けられた肉を食べることがほとんどです。
そこで、彼らの本来の行動を少しでも引き出すために、害獣として駆除されたヤクシカをほぼそのまま(感染症対策として、頭と内臓を取り除き冷凍したもの)与える、屠体(とたい)給餌を行いました。すると、普段はあまり見られない、餌をくわえて運ぶ様子や飛び跳ねる様子、食後の念入りな毛づくろいなどが見られ、完食までに長い時間を要しました。今後、屠体(とたい)給餌が彼らに与える影響を詳細に調べる予定です。

 例えどんなに良さそうに映る動物に対する取り組みも、実際には悪影響を与えているかもしれません。エンリッチメントは動物に与える影響を科学的に評価して、初めてエンリッチメントとして認められます。また、その効果は個体や状況によっても変化するため、絶えず動物福祉の向上として機能しているのかをチェックし続ける必要があります。

フィーダー(給餌器)によるマレーグマのエンリッチメント

ライオンへの屠体(とたい)給餌の様子

 

【ハズバンダリートレーニング】

 ハズバンダリートレーニング(以下、ハズトレ)とは、動物が心身ともに健康に暮らすために行う訓練のことです。すなわち、動物福祉に配慮するために行う訓練といえます。
当園ではこのハズトレを積極的に取り入れ、クマやキリンなど様々な動物で、体重測定や点眼、歯磨きなどが可能になりました。採血に関しては11種類の動物から可能になり、その内、トラ、サバンナモンキー、マンドリルなどの5種類が日本で初めての成功でした。

 ハズトレは動物福祉に配慮するために行うものです。行動分析学(行動の原理を扱う心理学)に基づくことで、体罰を一切行わず、こちらがしてほしいことをしたら動物が嬉(うれ)しいこと(≒餌)をして、動物に協力してもらいながらハズトレを行います。
ハズトレは動物に無理強いをしないため、無理やり捕まえたり、麻酔をかけたりするよりも負担が少なくなります。しかし、だからといって手術のときなどに麻酔が不要になるわけではありません。ハズトレは万能ではなく、ハズトレが最善の手段かは状況によっても異なります。ハズトレで爪を切るよりも、爪とぎ用の丸太を用意するなど、ハズトレよりも環境を整えることで問題が解決できるのであれば、そちらを優先したほうが良いでしょう。

 ハズトレは動物福祉に配慮するための1つの手段です。様々な手段を検討し、上手に組み合わせることが大切です。

ラマの点眼トレーニング ラマが頭を90°傾けてくれます。

ラマの点眼トレーニング ラマが頭を90°傾けてくれます。

トラのハズトレによる採血の様子 尻尾の血管から採血をします。

トラのハズトレによる採血の様子 尻尾の血管から採血をします。

 

【おわりに】

 動物園には4つの使命(娯楽、教育、保全、研究)があります。そして、動物を利用するすべての人は動物福祉に配慮しなければならず、当然動物園もその対象です。「みんなが喜ぶから、教育のためだから、今までそうやってきたから…。」といって、動物福祉への配慮が欠けているようではいけません。動物園の使命を果たすためには動物福祉がベースにあることが必要です。

動物園の使命を果たすためにはベースに動物福祉が必要不可欠

動物園の使命を果たすためにはベースに動物福祉が必要不可欠

 

 エンリッチメントとハズトレは動物福祉に配慮するための手段であり、共に科学的根拠が不可欠です。また、これまで動物に良いと思われていたことが、最新の研究で覆ることもあります。動物園には際限なく人手やお金があるわけではないため、できることは限られています。しかし、それでも動物福祉に配慮する手段は無数にあります。私たち飼育スタッフは、最新の情報を取り入れつつ、動物福祉に配慮するための取り組みを日々続けています。

 皆さんもいつもと少し視点を変えて、動物福祉の観点から動物園を見てみましょう。そうすることで、動物園の取り組みに気付き、動物園の新たな楽しみ方が見つかるかもしれません。動物園は動物という他者を理解する場でもあります。視点を変えて動物たちのより良い生活を一緒に考えてみませんか?

(ばん かずゆき)


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