天王寺動物園には野生動物のみならず、“ふれあい広場”にはいろいろな家畜が飼育されています。今回はそれぞれの動物の家畜化の歴史や特徴、エピソードについてお話ししたいと思います。
ヤギ(紀元前7,000年頃)
ヤギは中東に分布しているパサン(ベゾアールヤギ)を家畜化したと考えられています。紀元前7千年ごろの西アジアの遺跡から出土しており、家畜化はイヌに次いで古いと考えられていますが、野生種と家畜種の区別が難しく、その起源については確定的ではなく、また、初めて乳が利用された動物はヤギで、チーズやバターなどの乳製品も、ヤギの乳からつ作り出されたものです。日本の在来種については、15世紀頃に東南アジアから持ち込まれた小型ヤギが起源とされ、シバヤギは、日本在来種のヤギの一種で長崎県西彼杵半島の西海岸や五島列島などで食肉用として古くから飼育されており、キリシタン部落と呼ばれた集落で飼われ、貴重な食料源となっていたとされています。また日本ザーネン種については明治以降に欧米より輸入されたものが起源とされています。
ヤギ
ヒツジ(紀元前7,000~6,000年頃)
新石器時代から野生の大型ヒツジの狩猟が行われていた形跡があります。家畜化が始まったのは古代メソポタミアで、紀元前7000~6000年ごろの遺跡からは野生ヒツジとは異なる小型のヒツジの骨が大量に出土しており、最古のヒツジの家畜化の証拠と考えられ、またヒツジの原種の一つとされるムフロンは天王寺動物園にも展示されています。
ヒツジの原種ムフロン
日本にはウシやウマと同様、大陸から渡来したと考えられますが、在来種として現在まで飼育されているヒツジは存在していません。ただ羊毛製品には全く需要がなかったわけではなく、貿易品としてのヒツジの毛織物は人気が高かったものの、冷涼な気候に適したヒツジは日本の湿潤な環境に馴染まず、定着には至りませんでした。
ヒツジ
ウマ(野間馬)(紀元前4,000~3,000年頃)
ウマの家畜化の歴史は他の家畜に比べると新しく紀元前4000年から3000年ごろ、すでに絶滅したヨーロッパ南東部に生息していたターパンを家畜化したといわれています。モンゴルに野生のモウコノウマが現存していますが、現在のウマの直系の祖先ではないとされています。一方、日本の在来馬は4、5世紀ころに朝鮮半島を経由して九州に入った東アジアの在来馬が起源と考えられています。北海道に道産子、長野県木曽地域を中心に木曽馬、愛媛県今治市に野間馬、長崎県対馬市に対州馬、宮崎県に御崎馬、鹿児島県にトカラ馬、沖縄県宮古島に宮古馬と与那国島に与那国馬が残っています。
野間馬
天王寺動物園で飼育している野間馬は、日本の在来馬の中で最も小さいウマで、その歴史は、江戸時代(1635年)にさかのぼります。今治のお殿様が馬を野間郡の農家で育てさせ、体高が4尺(約121cm)より高い馬は買い取り、それより低い馬は、農家に無料で払い下げることとしたことから農家では体高の低い馬どうしの子供が生まれ、今のような小さい野間馬ができあがったのではないかといわれています。性格はおとなしく粗食に耐え、よく働き、丈夫で力持ちであったため傾斜地に植えられたミカンの収穫や搬出などに使われましたが、昭和になって農業機械や自動車が普及したためその数は年々減っていきました。そのため1978年(昭和53年)に個人所有の4頭が今治市に寄贈され、「野間馬保存会」が発足、“のまうまハイランド”で保護増殖が行われるようになりました。天王寺動物園の福はこの“のまうまハイランド”からやってきました。
フタコブラクダ(紀元前2,000年頃)
紀元前2000年頃には既に家畜化されていたとされています。移動手段、荷物の運搬に利用される他、毛皮、乳、肉、糞(燃料として)が人間に利用されています。野生個体は家畜との競合、乱獲、家畜個体との交雑による遺伝子汚染などにより生息数減少傾向にあり、2004年における野生個体の生息数は950頭と推定されています。
フタコブラクダ
テンジクネズミ(モルモット)(紀元前1,000年頃)
古代インカ帝国の時代に家畜化され、宗教儀式に食用として利用されていたと考えられています。原種は定かでありませんが、ペルーテンジクネズミ、パンパステンジクネズミ、アマゾンテンジクネズミの3種から家畜化されたとされており、ヒトと同様ビタミンCが合成されないことから実験動物としても広く利用されていました。かつては祝い事の際のみに供されるご馳走でしたが、狭い都会の住宅でも飼育が容易で、繁殖力が強く成長が速いことから、1960年代から日常的にも食べられるようになり、ペルーでは年間6500万匹のテンジクネズミが消費されています。
テンジクネズミ
日本ではモルモットという和名がよく使われています。江戸時代にオランダ人が長崎に伝えたとき、この動物がマーモットに似ていることから「マルモット」 (Marmot) と呼ばれ、これが訛ってモルモットとなったそうですが、マーモットとの混同を避けるため、新たな和名としてテンジクネズミ(天竺鼠)と命名されましたがあまり一般的ではないようです。ちなみに“天竺”とはインドのことを指しますが、遠方の国という意味も含まれています。
英名はギニアピッグ(Guinea Pig)ですが、しかしアフリカ西部のギニア(Guinea)原産ではありません。イギリスに初めてこの動物を持ち込んだ船がアフリカ経由であり、当時のヨーロッパ人にとってギニアとは漠然とアフリカ、転じて遠方の地を表す言葉であったことと、体形がブタに似ているため「ギニアピッグ」(Guinea Pig)と呼ばれています。
カイウサギ(西暦元年頃)
カイウサギはヨーロッパ原産のアナウサギを家畜化したもので、2000年ぐらい前に食用として飼育されたのが始まりで、世界各地に広まりました。また日本には16世紀にポルトガルかオランダから渡来してきたといわれており、明治時代には中国、アメリカ、イタリア、フランスからも輸入された記録が残っており、初めの頃は愛玩動物として飼育されていましたが、明治中期から後半にかけて、毛皮は衣料用に、肉は食料用に利用されるようになり、飼育数が増加しました。日本ではウサギといえば “白い毛に赤い眼”というイメージが定着していますが、これは日本白色種というアルビノの品種が各地で飼育されたためです。
カイウサギ
ところで日本にはノウサギが生息していますが、カイウサギの原種であるヨーロッパアナウサギは分布していないうえに、分類的にも生態的にもかなり異なり、アナウサギは地面に巣穴を掘って生活し赤ちゃんも巣穴の中で産みます。一方、ノウサギは特定の巣はつくらず、赤ちゃんも地上に草を集めた程度の巣をつくって産みます。またアナウサギの赤ちゃんは未熟で目は閉眼し体毛も生えていませんがノウサギの赤ちゃん出生時から目は開いていて体毛も生えています。とはいえ日本にはノウサギしか生息しておらず、両種が生息しているヨーロッパではこの2種は明確に区別されていて、英語でアナウサギは“Rabbit” 、ノウサギは“Hare”と呼ばれています。
このように家畜たちはヒトが利用するために飼育し品種改良が進められました。動物園で家畜を展示する場合は単に姿、形を見ていただくだけではなく、それぞれの動物が人とどのような関りを持ってきたかを理解していただく展示をすることが大切だと思います。
(榊原 安昭)
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