天王寺動物園「なきごえ」WEB版

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動物へのあふれる思いを科学の力で正しく伝える

元天王寺動物園長 長瀬 健二郎さん

ジャイアントパンダと筆者

 

 コアラを初めて見たのは1976年(昭和51年)のことでした。場所はアメリカのサンディエゴ動物園。屋外展示場に植えられた高いユーカリの木のてっぺん近くにいたコアラのお尻あたりがちらっと見えました。その時は将来、自分が担当することになるなど夢にも思いませんでした。

 1970年代末、日本各地の動物園がコアラの導入を検討し始めました。天王寺動物園でも検討を始め、大阪市の友好都市であるメルボルン市の動物園から導入することになりました。1984年(昭和59年)10月、コアラを迎えるための具体的な準備のため、私は1カ月間のメルボルン動物園への出張を命じられました。滞在中は休む間もなく、連日コアラの飼育研修に励み充実した日々を過ごすことができました。

 滞在中に得られた貴重な情報をもとに準備を進め、1989年(平成元年)4月から再度メルボルン動物園へ出張しました。今度はプレゼントしていただく3頭のコアラを引き取りに行くものでした。この時も1カ月滞在し、同行したコアラ担当者といただくコアラが互いに互いをよく知るようにして、翌5月コアラとともに帰国しました。

 それからは私も担当獣医師としてコアラの飼育に携わりました。朝一番には一頭一頭のコアラをしっかりと観察し、話しかけながら体に触れ、前日からの変化がないか調べます。そして落ちている糞(ふん)を一粒一粒拾ってその状態を観察し、数え、計量します。清掃が終われば午後から与えるユーカリの準備、それが終われば24時間録画しているビデオを解析し、夜間の行動を観察します。そして午後一番に準備しておいたユーカリをコアラに与え、残ったビデオを解析する…、この繰り返しでした。

 大変な緊張を伴う日々でしたが、繁殖にも成功し、仲間とともに苦労を上回る喜びを体験することができたのもコアラのおかげです。38年間の在職中、準備期間を含めほぼ三分の一の12年間、コアラの飼育にかかわりました。この貴重な体験が現在の私を支えてくれています。

(ながせ けんじろう)

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