動物の「遺伝解析」と聞くと、「遺伝子やDNAを解析する、何やら最先端だけど小難しい、あまり馴染みのない研究」とイメージする人が多いのではないでしょうか。動物の遺伝子のDNA配列を調べ、多くの個体間で比較をして、その遺伝子がどれだけ多様なのかを明らかにする解析のことを「遺伝解析」といいます。特に絶滅危惧種の保全においては、この「遺伝的多様性」の解明が極めて重要です。この多様性が低いと、遺伝子に由来する重篤な病気が発症しやすくなったり、温暖化などの環境変動に対応できる個体が少なくなり、気候の変動で一気に絶滅してしまったりします。また、個体数が少なく遺伝的多様性が低い場合、その個体群中の多くの個体が血縁関係にあるといえます。家族同士での繁殖(近親交配)が起こりやすくなり、更なる遺伝的多様性の低下や遺伝子疾患の増加を引き起こす可能性があります。絶滅危惧種の「遺伝解析」による遺伝的多様性の解明は、その種の絶滅リスクや適切な保全方策の検討に不可欠なのです。
飼育下のニホンイヌワシ
私の研究対象は、世界に6亜種が分布している猛禽類イヌワシ(Aquila chrysaetos)の1亜種であるニホンイヌワシ(A. c. japonica)です。朝鮮半島の一部と日本にしかいないといわれており、日本での野生の個体数は500羽と推定されています。個体数は年々減少していると考えられ、近い将来での絶滅が心配されています。環境省のレッドリストでは絶滅危惧ⅠBに分類されています。ニホンイヌワシは深山幽谷の鳥といわれ、深い山の奥に生息しており、めったに人前に姿を現しません。しかし、その荘厳な姿から、昔から人々の尊敬や信仰の対象として敬われており、山の神様である天狗のモデルともいわれています。また動物園では、秋田市大森山動物園や大阪市天王寺動物園など9動物園に48羽(2019年時点)が飼育されています。
私はニホンイヌワシの遺伝解析を行い、遺伝的多様性や、近親交配の程度を表す「近交係数」と呼ばれる指標を野生集団(主に岩手県の個体群)と飼育集団の間で比較しました。また、過去に絶滅の危機にあった(現在は個体数が回復している)イギリスのイヌワシ(A. c. chrysaetos)や絶滅危惧種ではない北米のイヌワシ(A. c. canadensys)とも比較し、ニホンイヌワシの絶滅するリスクがどの程度かを明らかにする研究も行っています。
野生集団と飼育集団の遺伝的多様性を比較した結果、遺伝的多様性にあまり差がないことが明らかになりました(表1)。
これは動物園での飼育下繁殖が遺伝的にも上手くいっており、野生と遜色のない遺伝的多様性が保たれていることを意味します。しかしもしも野生のニホンイヌワシが絶滅してしまった場合、飼育集団は野生集団を再生するための鍵となりますし野生と同程度の多様性を維持しているという研究結果は、保全上とても喜ばしいことです。今後も、現在の多様性を維持した状態で飼育下繁殖を続けていくという保全方策が、絶滅の回避に大きく貢献すると考えています。このように生息域以外でも保全を行っていくことを「生息域外保全」といいます。
一方で、海外のイヌワシと比較した結果、野生のニホンイヌワシの遺伝的多様性は絶滅が危惧されていない北米のイヌワシと同程度でした。しかし、近親交配の程度を示す指標である「近交係数」は、一度絶滅しかけたイギリスのイヌワシと同程度でした(表2)。
これは、現在のニホンイヌワシの親世代のなかに繁殖することができていない個体が存在し、限られた親しか子供を残せていないことを示唆していると考えています。将来、世代交代によって遺伝的多様性の多くが失われるとともに近親交配が進行し、一気に絶滅に近づくリスクがあることが示唆されました。ニホンイヌワシの個体数の回復と現在の遺伝的多様性の維持につながる保全方策を検討し、実施する必要があると考えています。
それでは、保全により個体数を回復させるうえで、どのくらいの個体数を目標とするべきでしょうか。様々な考え方や指標がありますが、過去の個体数というのは目標の一つとして考えやすいと思います。最新の遺伝解析手法により、過去の遺伝的多様性や個体数の変遷を推測することが可能になりました。pairwise sequential Markovian coalescent(PSMC)モデルという最新の解析では、動物1個体の全ゲノム(全てのDNA)を解読し、多様性を解析することで、数百万年前から1万年前程度までの遺伝的多様性や有効集団サイズの変化を推定できます。有効集団サイズとは、遺伝的多様性から推定される個体数のことです。本当の個体数の十分の一程度になることが多い指標ですが、個体数と遺伝的多様性の双方を考察することができる、保全を目的とした遺伝解析になくてはならない指標です。
ニホンイヌワシの全ゲノムを解読してPSMC解析を行った結果、個体数の減少は約3万年前から1万年前くらいまで続いた最終氷河期の始まりから続いていることが示唆されました(図1)。
図1:ニホンイヌワシの過去の有効集団サイズの変遷
図中の灰色の期間が最終氷期、濃い灰色が最も寒かった期間
また最終氷期のなかで最も寒かった期間には、北米のイヌワシが日本に飛来し、遺伝的多様性や個体数が一時的に回復していた可能性があることがわかりました。しかし、同様の解析を北米のイヌワシでも行い、現在の有効集団サイズと比較したところ、最終氷期の間の個体数の減少速度よりも、この1万年の減少速度のほうが早いことがわかりました。つまり、絶滅危惧ではない他の亜種でもこの1万年間で加速度的に個体数や遺伝的多様性が減少していることが示唆されたのです。500羽しかいないニホンイヌワシの場合には、その減少速度はさらに速く、近い将来に絶滅してしまう可能性が極めて高いといえるかもしれません。
ニホンイヌワシを絶滅させないために、できる限りすぐに効果的な保全方策を行う必要があることが示されました。また野生だけではなく、飼育されているイヌワシも保全上きわめて重要な集団であることがわかりました。私のような遺伝学者や、野生のニホンイヌワシの生態の研究者、飼育動物園、そして環境省をはじめとする行政の間の強固な連携や協力体制のもと、保全を進めていく必要があります。
天王寺動物園のニホンイヌワシ
(さとう ゆう)