私にとって”動物”は、子供の頃は「遊び相手」であり、大人になってからは「つかず離れず 元気でいて欲しい隣人」のような存在です。
現在、博物館が舞台の漫画を描いていますが、昔から博物館好きだったわけではなく、むしろ幼い頃に行った記憶はほとんどありません。
しかし生き物は大好きで、放課後はひたすら外で遊び、お腹が空くまで帰らない子供でした。何をしていたかというと。。。
*草むらで、子バッタと一緒に跳ねる!
⇨ いかに子バッタと同じタイミングで、ぴょんぴょん跳ねられるか!?が“キモ”。
*犬と同じようにカッコよく土を掘る!
⇨ いかに俊敏に、犬のように派手に砂を撒(ま)き散らしながら穴を掘れるか!?
*猫を追いかける!
⇨ 入ってはいけないゾーンも勇気を持って(?)、いかにノラ猫の後をそのままついて行けるか!?
*シオマネキ(カニ)の求愛を邪魔する!
*素手でなるべくたくさんツクツクボウシを捕まえる! etc...
我ながら変な悪ガキでしたね。
さてそんな悪ガキも成長し、大学での野外調査や博物館でのアルバイトを経て、生き物に対 して少し違う視点を持つようになりました。
特に、博物館では、鳥の剥製・骨格や羽標本などの作製に携わり、動物の死体と向き合う 日々の中で、様々なことを感じました。その中から2つのことをご紹介します。
1つ目は、間近で見る動物の美しさや、骨や羽からわかる驚くほど機能的な体のつくりについてです。例えば、ヒヨドリは、剥製を作るために手に持ってはじめて、白と灰色のグラデーションがとても美しい鳥だと気付きました。また、アカゲラの長い舌は、頭骨の上までぐるっと巻き付くように収納されていました。
2つ目は、人間活動によって、本当にたくさんの動物たちが死んでいることについてです。 博物館の剥製も、こういう事故個体から作られていたりします。
こうしたハッとさせられる一面や悲しい一面を知った後では、「見るのがただ好き。面白い。」という素朴な感情だけでは動物たちを見られなくなりました。
今、つくづく思うのは、動物園や水族館などの”生物を展示”する施設と、博物館などのような”標本を展示”する施設の両方に、多くの人が足を運んでくれたら良いな、ということです。そこで”動物”をいろんな側面から見て、知って、興味を持ってほしいです。
そうすることで、「こんなに面白く美しい隣人たちがいなくなってはつまらない」と思う人が一人でも増えてくれればなあと思っています。
私の漫画も、その一端を担えたら・・・最高だな、と思います。
(さわら とも)
【(株)小学館 月刊!スピリッツ へんなものみっけ!連載中】