はじめに
日本で飼育されているクロサイには1頭ずつ番号が振られており、誕生日、両親、飼育場所、死亡した場合には死亡日と死因が記録されています。このような記録は血統登録と呼ばれています。なぜ動物園がこのような血統登録を行っているのか、またその記録から見える日本のクロサイの過去から未来について紹介します。
血統登録の目的
日本動物園水族館協会で管理しているクロサイの血統登録には、2017年末時点で102頭の情報が記録されています。例として、2015年に天王寺動物園へやってきた雌のサミア(図1)の情報を紹介します。(図2)「サミアの血統登録番号は1115番、2013年9月14日にドイツのライプチヒ動物園生まれ」「父親の血統登録番号は610番、母親は743番」「2015年6月11日に天王寺動物園へ移動した」という内容が記録されています。つまり血統登録とは人間における戸籍のようなものです。日本のクロサイは国内だけの血統登録番号ではなく、世界中の個体が記録された国際血統登録の番号をそのまま使って管理しているため、番号は102よりも大きな数字まで使われています。102頭の中には、サミアの両親のように日本での飼育経験はないものの、日本に来たクロサイの先祖に当たる個体の情報も含まれています。この記録を順番にたどることで、現在飼育されているクロサイの先祖を、野生からきた個体にまで遡ることができます。
図2.サミア(大阪市天王寺動物園)
血統登録の情報を分析することで、日本でクロサイが初めて子どもを産む年齢や寿命を推定し、これまでと同じペースで出産や死亡が続いた場合に将来クロサイが何頭くらいになるかなどという「個体群動態」の情報を得ることができます。また、どの個体とどの個体が親戚であるかという情報からは、日本のクロサイにどの程度野生から来た個体の遺伝子が残っているか、どの個体が他と異なる遺伝子を持っている可能性が高いかなど「遺伝的情報」を知ることができます。この個体群動態と遺伝的情報を元に、“健康”な個体群の維持を目指す。これが血統登録の大きな目的です。
“健康”な個体群を目指して
動物園では“健康”な個体群を維持するため、血統登録の情報を使って、大きく2つのことを考慮して繁殖の組み合わせを考えています。
1つめは、親子、兄弟など、近縁な関係にある個体の繁殖を避けるということです。遺伝子の中には、片方の親から受け継いだだけでは問題が現れませんが、両方の親から同じものを受け継ぐと病気になってしまうものがあります。近縁な個体の間でできた子どもは、両親から同じ遺伝子を受け継ぐ可能性が高くなります。近縁な個体の間で交配を繰り返し体が弱い個体が増えていくことを「近交弱勢」といいます。この近交弱勢を避ける組み合わせとなるよう、繁殖のペアを作っていきます。生まれてくる子どもができるだけ“健康”となるような繁殖を考えるわけです。ここでもう1つ気をつけなければいけないのは、例え親子や兄弟の交配ではない場合でも、両親の先祖に同じ個体が沢山いる場合には、やはり同じ遺伝子を受け継ぐ可能性が高くなってしまうことです。このため、野生からきた個体まで遡ることができる血統登録が必要となります。
2つめは、国内個体群の「遺伝的多様性」ができるだけ高くなるような繁殖の組み合わせを考えることです。「遺伝的多様性」が高いとは、集団内に沢山の種類の遺伝子があるということです。沢山の種類の遺伝子があることで、ある遺伝子を持つ個体が生きていくのが難しい環境でも、他の遺伝子を持っている個体は適応して生き残っていく可能性が高くなります。
1970年代には7万頭いた野生のクロサイは、現在では5,500頭程度にまで減少しているといわれています。かつて野生からクロサイを連れて来た動物園は、いつか必要になった際に野生の環境で生きていける可能性が高い個体を野生に返すことができるよう、「遺伝的多様性」が高いまま維持することを目指しています。また例え野生に返すことがないとしても、1つめに考えることであげた「近交弱勢」を避けるという点でも、「遺伝的多様性」を保つことは意味があります。
しかし、飼育下の繁殖では、遺伝子の種類は急速に失われます。例えば、ある繁殖ペアから子どもが1頭しか生まれなかった場合、その子どもが受け継ぐ遺伝子の種類は、両親が持つ遺伝子の半分だけです。残りの半分の遺伝子は失われてしまうわけです。遺伝子の種類をできるだけ残すためにはその繁殖ペアが1頭だけではなく複数の子どもを残せばいいのですが、場所に限りのある飼育下では生まれた子どもが多くなると、今度は他の繁殖ペアの子どもを飼育する場所がなくなってしまいます。血統登録から得られる「遺伝的情報」を利用することで、このバランスを適切なものにできるのです。
日本のクロサイの過去から未来
血統登録を見ると、日本で最初に動物園でのクロサイの飼育が始まったのは1952年です。(図3)それから1973年までの約20年間に、30頭の個体が野生からやってきました。そのうち唯一生き残っているのは安佐動物公園にいるハナ(図4)で、今年で推定52歳になります。飼育下での繁殖は1960年代から成功し始め、1970年代後半からは、安定して国内の動物園のどこかでは子どもが生まれています。現在では生まれた個体を海外の動物園に移動したり、一度繁殖したペアについては次の繁殖までに少し間隔を開けたりすることで、全体の個体数は国内の収容上限である25頭近くを推移しています。
図3.国内のクロサイ飼育頭数の積み上げグラフ
図4.ハナ(広島市安佐動物公園)
遺伝的に見ると、野生復帰のための個体群が目指す水準には達していないものの、それに近い多様性を維持しています。しかし、野生由来個体から3世代が経過し、国内で生まれてくる個体は、どの個体の組み合わせでもいとこ関係程度には近縁となってしまいました。次の世代を残すための繁殖ペアが作り難い状況となってきています。そんななか、海外の動物園で生まれた個体が2頭、2015年に日本にやってきました。そのうちの1頭が天王寺動物園にきたサミアです。
サミアは日本で現在飼育している個体とは血縁がなく、持っている遺伝子も違う可能性が高い個体です。サミアから生まれた子どもも、国内の他の動物園で生まれた個体との血縁が遠くなり、次の世代の親になれる個体群にとって重要な子どもです。天王寺動物園は、これまで6頭のクロサイが生まれ、育った動物園です。サミアもきっと元気な子どもを産んでくれるだろうと期待しています。
(ののうえ のりゆき)