テツオの警戒心と歯磨きタイム


○愛嬌たっぷりのテツオとギョロ目のテツオ

 毎日、午後1時からのテツオの歯磨きタイムではこちらの姿を見せると「待っていました!」といわんばかりの表情をみせ、大きく口を開けます。口の中をマッサージして、草など刺さっているのを探し歯磨きします。直後に「お利口に歯が磨けたね」と気持ちをこめておやつを与えると、とてもご満悦な表情をしてくれます。

 ところが時にはギョロッとこちらを睨みつけて水の中に潜ってしまい避けられることもあります。えてして動物飼育していると動物を不安な気持ちにしてしまうこともあります。
カバ舎では雄のテツオと雌のティーナを飼育していますが、今回はテツオに焦点を当てて
裏側のできごとや歯磨きの役割について紹介いたします。

 

歯磨きタイムのテツオ

歯磨きタイムのテツオ

○野生でのカバ

 その前に野生での雄のカバは本来どのような特性があるのか少し触れてみましょう。雄はなわばりを持ち昼間は湖沼や河川、あるいは湿地帯で休みます。カバの群は母親と子供で形成された母系社会です。雄は大人になると群れを離れていきます。なわばり内は他の雄も雌も自由に出入りできますが、雌が発情すると交尾はなわばりの持ち主の雄が優先されます。ときには交尾権をめぐり他の雄と激しく闘争することもあります。負けた場合はなわばりを乗っ取られることにもなります。

 

川辺で休む野生のカバの群れ

川辺で休む野生のカバの群れ、小さい子どもがいるためワニを警戒して
水の中に入らないのかもしれません

 また、生息地のアフリカでは水は大変貴重です。カバは群れに近づく他の動物に雄雌にかかわらず攻撃的で、ライオンやゾウでさえもカバの群を敬遠するほどです。夜間は草を食べる為に陸へと上がりカバ道と呼ばれるある程度決まった道筋を移動して、陸でも糞を目印になわばりを形成していると考えられています。人との関係は近年、このカバ道があるところに町ができたため、カバに襲われる事故が頻発しているそうです。カバの雄は本来、縄張り意識が強い、用心深い、警戒心が強い、さらに攻撃的な特性があるとても危険な動物なのです。

 

こちらを怪しんでいる野生のカバ

こちらを怪しんでいる野生のカバ

テツオの警戒心

 昨年の5月頃テツオに警戒心を与える大きなできごとがありました。ティーナに無麻酔での採血を試みたときのお話です。テツオティーナの間にはなかなか子供が生まれせん。可能性の一つとして排卵障害ではないか?そうだとしたら治療方法はあるのか?獣医師に相談したところ、排卵障害を調べるのは難しいが、妊娠判定はできるので採血してみないかということでした。動機と目標が少し違いましたが、私自身採血に興味もありましたのでやってみることにしました。採血に向けたトレーニングの手順では警戒心の強いカバを相手ですので、できるだけゆっくり進めていくことにしました。ティーナの採血を行うのですが、テツオにも同時に簡単なトレーニングを行うことにしました。採血するためには姿勢を保ち静止する必要があります。口を開けてじっと動かない姿勢を取るようにトレーニングしていきます。口を開けてじっとする課題をクリアするとご褒美のおやつおあげるのですが、カバの口は大きく固形物だと量の加減が難しく咀嚼がテンポを乱すので、使用するご褒美はいろいろ試した結果、黒糖水のスプレーにたどり着きました。ティーナはこの甘いスプレーに好反応を示しトレーニングが円滑に行えるようになりました。テツオにもためすとギョロッと睨まれ水に身を潜めて大変警戒されてしまいました。テツオにはもっと甘さを控える、スプレー自体に慣らすなど段階を踏むべきでした。

 カバの皮膚は大変硬く注射針が刺せる部分がほとんどありません。かろうじて針が刺せそうなのは耳と足の指の間です。耳は水を切るため高速で回転するので、足の指の間にで採血を試みることにしました。初めから針をさすのではなくそこを触っても大丈夫なように慣れさす過程では、途中までよだれを垂らしながらトレーニングするティーナですが、足にごく弱い刺激をあたえると目つきが変わり瞬時に巨体をのけ反って後退しました。ティーナにも警戒心をいだかれ、テツオにもそれが伝播していきました。
普段テツオティーナは挨拶したら機嫌よい顔でおやつをおねだりするのですが、警戒されてからは挨拶しても知らんふりして水中に身を潜めたままでした。特にテツオの警戒心は強まり、寝室から展示場に移動する作業では、いつもはゆっくり歩いて移動するのが、弾丸のように走って出て行ったことがありました。カバが本気で走るのをはじめてみました。また寝室への誘導は受け入れてもらえず外泊も数日続き餌も食べないことさえありました。動物へ寝室の出入の誘導指示や与えた餌を食べるかどうかは動物と飼育員の信頼関係があって成り立ちます。それを受け入れない状況が続き飼育の基本が破綻しかねないと思い採血のトレーニングは一時中止することにしました。

 私の方法に間違いがあったとは思いますが、順調にいっていると思っても、キッと鋭い眼になり身構えるところは、動物園生まれのテツオティーナにも本来の野性が残っているものだと改めて思いました。

 

寝室のプールで挨拶するテツオ(左)とティーナ

寝室のプールで挨拶するテツオ(左)とティーナ

○こじれた関係の修復 

 今年はカバ舎近くのツル舎の解体作業がありました。ツル舎はテツオのいるプールの前でよく見えていました。大きな重機が騒音を立ててツル舎を取り壊すのです。またナイトZOOの開催や職員の制服の変更などいろいろなことがありました。これらは動物園がよくなるために必要なことですが、大なり小なりテツオにとっては怖い体験であったことでしょう。これらのできごとでもテツオの寝室と展示場の出入が困難になりました。普段はこちらの誘導を素直に受け入れてくれるテツオですが、いったん警戒心を持つと日々の飼育作業が円滑に行えなくなるのです。

 こうした状況を打破する方法が歯磨きタイムなのです。警戒されている時は歯磨きに誘ってもすぐには近づいてきてくれません。しかし、テツオは歯磨きタイムが本当は好きなのです。それは歴代のカバの担当者が大変テツオを可愛がってきたからです。歯磨きタイムでは口の中を手でマッサージしています。これがテツオには気持ちいいようです。ホースでの水遊びも長年やってきた触れ合いです。呼んでも近づいてくれない時はまずホースの水でテツオを遊びに誘います。すぐ来てくれる時もあれば、数日かかる時もあります。マッサージの途中で離れていくときもあります。機嫌が戻ると歯磨きを催促するほどにもなり、テツオの機嫌のバロメーターとしても見ることもできます。歯磨きタイムは健康維持だけのためだけではなく、テツオとこじれた関係を取り戻すかけ橋でもあるのです。

 

テツオの口の中をマッサージ

テツオの口の中をマッサージ

○終わりに

 今年は嬉しい小さな発展がありました。今までは来園者がカバをご覧になるビューポイント側にはテツオを呼んでも来てくれなかったのですが、それが来てくれるようになりました。シャイなテツオはあまり近寄らなかった場所です。お客様に見ていただくためだけではなく、こういった誘導が確実に行えるように馴致が必要になってくるかもしれません。というのは、現在国内のカバは血縁関係が近いため、海外から導入できたティーナは血統的に貴重な存在なのです。2頭の間には子供ができないと先にも書きましたが、その理由としてテツオが無精子症であるのかもしれません。打開策として新しい雄の導入も考えられますが、新しいカバの雄が加われば、複数の雄を飼育するために獣舎内で今までと違ったカバ達の誘導が求められることになるでしょう。残念ながら今のところ新たな雄が入る予定は全くありませんが、こうした誘導は雄を新たに導入できた場合の馴致としての意味もあるのです。

 

ビューポイントに寄ってくるテツオ

ビューポイントに寄ってくるテツオ

 少し気が早く、飛躍的ではありますが来るべき時の準備のつもりです。野生では決して近づいてはならないカバですが、歯磨きタイムやビューポイントへの誘導は動物飼育上の信頼関係の構築としての側面をご理解いただけたら幸いに存じます。

 

(上野 将志)


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