〜 天王寺動物園発行情報誌 〜
『なきごえ』4月号       

   
      
コアラの膀胱炎・膀胱結石の治療経過についてT
飼育課 竹田 正人
       
昨年8月に当園で飼育展示中のメスのコアラ(愛称:クミ、当時8歳)が血尿を出しているのを発見しました。膀胱炎を疑って、抗生物質と皮下補液などの治療を実施しました。しかし、回復が思わしくないため、レントゲン撮影を実施したところ膀胱結石を認め、10月末にコアラでは国内初の膀胱結石摘出手術を実施しました。手術は無事成功し、その後は順調に回復しましたので、その経過についてお話します。

 症 状
 6月下旬にクミはオスと交尾をしました。出産予定日の8月上旬頃より止まり木から地上に降りる回数が増加し、採食時間も減少し始めました。検査の結果、残念ながら出産していませんでした。しかし、採食時間はその後も徐々に減少し、排尿時に痛がるような行動も観察されたので、尿を検査したところ、赤血球や白血球などが混じっていました。血尿は、腎臓病、細菌感染や結石による膀胱炎、泌尿器系内の腫瘍、尿道炎など様々な原因で起こりますが、今回は血液検査や尿検査、臨床症状などから細菌性の膀胱炎を疑いました。
  
 療開始
 
膀胱炎を治療するには、病原菌を殺すための抗生物質投与、病原菌を洗い流すための水分補給と排尿促進などが必要です。しかし、ここにコアラ特有の問題が存在します。
 ご存知のとおり、コアラはユーカリしか食べません。しかし、ユーカリは消化しにくいため、コアラは大きな盲腸(約2m)を中心に腸の中に存在する無数の細菌を利用してユーカリの栄養を吸収しています。抗生物質を使うと病原菌だけではなく、必要な細菌まで殺してしまい、結果として下痢を起こして死亡する場合があります。したがって、腸の中の必要な細菌にはあまり影響を与えず、病原菌だけを集中的に攻撃する抗生物質を数種類選択し、その投薬スケジュールを検討しました。
 また、コアラは必要な水分のほとんどをユーカリから摂取しているので、治療に必要な水分を直接口から補給するのは非常に困難です。また、コアラも他の動物と同様に長時間じっとはしてくれないので、静脈への点滴注射も不可能です。そこで、利尿剤を加えた皮下補液(補液剤の皮下注射)を実施しました。しかし、コアラは皮下脂肪がほとんどなく、皮下はあまりルーズではありません。注射の際にコアラが痛がって動くので、飼育担当者にコアラの機嫌を取ってもらいつつ、チューブの先端に針の付いた翼付静脈注射針を用いて背中の皮下にできるだけ多くの薬液をすばやく注射しました(写真参照)。
 さらに厄介なのは、体の調子が悪くなると餌(えさ)であるユーカリを食べなくなることです。コアラ舎では24時間365日VTRを用いて採食時間や排尿回数などすべての行動をチェックし、正常時の1日当りの採食時間が2〜3時間であることがわかっています。コアラはもともと基礎体力がないので、採食時間が2時間を切ると黄色信号です。そこで、減少した採食量を補うために、飼育担当者が交代でハンドフィーディング(コアラの口元までユーカリの枝を持っていって、葉っぱを1枚1枚食べさせること)を実施しました。この他、1日数回総排泄腔(そうはいせつこう・後述の説明参照)内に消毒剤を注入して洗浄しました。
翼付静脈注射針を使用した皮下補液
 レントゲン撮影
 過去他のコアラで同じような血尿(膀胱炎)を経験した時は、長くても3週間程度の治療で完治していました。しかし、今回のクミの場合は4週間たっても5週間治療を続けてもなかなか良くなりませんでした。そこで、血尿の原因が他にあるのではと考え、10月下旬にレントゲン撮影を実施しました。その結果、膀胱と思われる場所に直径約2cmの結石様の塊(写真参照)があることが判明しました。動物病院スタッフとコアラ飼育担当者で相談し、10月30日にこの塊の摘出手術を実施することにしました。
クミのレントゲン写真(矢印が膀胱結石)
 膀胱結石摘出手術
 手術当日、コアラを動物病院まで運び、吸入麻酔をかけて、再度レントゲン撮影を行いました。レントゲン写真に写った結石の位置を見て、再び悩みました。というのも、結石のある位置のちょうど真上に育児嚢(赤ちゃんが入り込み母乳を飲む袋)があるからです。また、育児嚢の下側には有袋類特有の袋骨(育児嚢を支える役目をするU字型の骨)と恥骨があるので、そこを切開しても膀胱までたどり着けません。結局、結石のある部分からは遠くなりますが、育児嚢の上側からアプローチすることにしました。
開腹するとその真下に膀胱が見えました。結石の刺激を受けて膀胱自体が細長く変形していたようです。膀胱を切開し、へら状の器具で膀胱の下部にある結石を引き上げるように取り出しました。摘出した結石は直径が約2センチもある大きなものでした。膀胱内を洗浄し、切開した膀胱に続いて腹壁を縫合し、縫合部を消毒してガーゼを貼りました。抗生物質を注射し、静脈点滴と吸入麻酔を止めて手術を終えました。ただし、麻酔から覚めるまで酸素吸入は続けました。2時間にも及ぶ手術の影響でしょうか、麻酔から覚めるのに約1時間かかりました。麻酔から覚めたクミをコアラ舎まで運び、展示場で輸送用袋から出すと、ちょっとふらつきながらも止まり木に登り始め、やがていつもの定位置で落ち着きました。
 手術後の管理と治療経過
 手術後の管理で最も大事なことは、採食量の確保です。1日2時間以上の採食時間を目安に、不足分をハンドフィーディングで補いました。また、術後の感染を予防するため、抗生物質の注射は手術前より長めのパターンに変更しました。皮下補液、縫合部分と総排泄腔内の消毒は毎日行いました。手術後2週間を過ぎたあたりから尿中の血液量が減り始め、20日目以降からは血尿をほとんど認めなくなったので11月30日で治療を終了しました。ただし、ハンドフィーディングは、病気になる前の体重に戻すべく、その後約1ヵ月間継続実施しました。
 膀胱結石の正体と膀胱炎の原因
 
一般的な膀胱結石は、カルシウムやマグネシウムなどミネラルの結晶の塊です。しかし、今回の結石は、その後の詳しい検査の結果、病原菌とその周囲に付着した血球などの塊でした。つまり、何らかの原因で膀胱内に入り込んだ病原菌が増殖し膀胱粘膜を壊しつつ徐々に塊を作り、さらにその周囲に血液や結晶などが付着して結石ができたと思われます。
 コアラは膀胱炎になりやすい?
 菌性膀胱炎は原因菌が尿道を通って膀胱に入り込み、増殖することで起こります。コアラは、糞便と尿を同じところ(総排泄腔)から排泄する構造をしていること、排尿量・回数ともに少なく膀胱内の自浄作用が劣っていることなどから他の動物に比べて膀胱炎になりやすいと考えらえます。病気への対処は、早期発見・早期治療が基本です。血尿をもっと早く発見し、抗生物質の長期使用を含めた徹底した治療を実施していれば、膀胱結石を作るまでには至らず、単なる膀胱炎で治まっていたかもしれません。これらの点を反省材料にして病気の早期発見・早期治療を心がけたいと思います。
 最後に
 今回の病気の診断・治療に関してご指導・ご助言をいただきました、大阪府立大学農学部獣医外科学教室の大橋教授、大阪府高槻市東田獣医科の東田院長ならびにコアラ飼育動物園担当獣医師の皆様に深謝いたします。


コアラの膀胱炎・膀胱結石の治療経過についてU
 − 体重維持の苦労 −

飼育課 早川 篤
 飼育係が担当動物と接する時間というのは意外と少ないんですよ。動物園の動物はペットではありません。だからというわけではありませんが、僕は担当動物とベタベタ仲良くしないようにしています。冷静に一歩ひいた場所から彼等の健康管理や気持ちの移り変わりを知る事が仕事の大切な部分でもあると思っているからです。とは言うものの、そうでない場合もあります。

 コアラってユーカリしか食べないのとよく質問されますが、答えはイエスです。しかも、人間のように食わず嫌いとかじゃなくユ−カリ以外の食べ物を口にする能力を持っていません。ユ−カリしか食べることができないと言ったほうがいいかもしれませんね。その唯一の食べ物のユ−カリが生活するギリギリの栄養しか含んでいないんです。だからコアラは無駄な体力を使わないよう眠ってばかりいるんですよ。そしてコアラが生きていく上でとても重要なのは『毎日必要量のユ−カリを食べ続ける』ことなんです

 なあ〜んだ当たり前やんと思われるかもしれませんが、これはコアラにとってはすごく大変なことのようです。コアラは外見は丸くてころころしている様に見えますが、実は骨と筋肉だけなんですよ。前述したようにユ−カリにはコアラに脂肪をつけるほどの栄養などありません。だからあのフワフワの毛の下はスリムな体つきなんですよ。そんなコアラが病気になるとどうなるのでしょう。皆さんも風邪などひくと食欲が無くなるでしょう。コアラも同じです。ただ人は一日や二日食べなくても何とかなるもんですが、体力のないコアラは一日何も食べないと命取りになります。だから体調を崩したら無理にでも担当者が機嫌をとりながら少しでも食べさせ続けなければならないのです。

 
 昨年8月に体調を崩したクミちゃんにも4ヵ月の間担当者が交替で葉っぱを一枚一枚食べさせ続けました。目標は1日2時間です。うまく食べてくれる日もあれば全然口にしようともしない日もありました。ユ−カリにもいろんな種類があってやはり好みがあります。体調を崩すと好みもころころ変わっていきます。これは人も同じですね。毎日クミちゃんの横に行って今日はどうかなっと顔をみるとジィ−ッと見つめ返してきます(目で会話ができる野生動物ってあまりいませんがコアラはOK)「今日の調子ならこのユ−カリ食べたいんとちゃうの」と差し出したユ−カリを「しゃ〜ないな、食べたるわ」という顔で食べ始めたときなどは、飼育係になって良かったなあと嬉しくなる瞬間です。一日中ベッタリと一緒にいるのですから自然と気心が知れてきます。時にはこういう関係を持てるのも悪くはないものですね。

皆さん、元気になったクミちゃんに会いにコアラ舎に来てください。


 ハンドフィーディング(手渡しのエサやり)をしているところ