入園者の皆様に愛されて天王寺動物園の人気を独り占めしていた、アジアゾウの春子がこの夏、老衰のため66歳(推定)で亡くなりました。春子が当園にやって来て以来64年。現在、ゾウの飼育担当者は4人。人間と心を通い合わせるようになるのに年数がかかるといわれるゾウ、間近で日々見続けてきた担当者に在りし日の姿や亡くなる前の様子などを語ってもらいました。
ゾウを看取る
2014年7月30日、アジアゾウ春子が老衰のため66歳(推定)で亡くなりました。現役のスーパースターのまま逝ってしまいました。春子が亡くなることは、ある程度予測して心の準備はしていましたが、現実を目の前にするとやはりショックでした。
6月20日運動場に出なくなってからは食欲もほんの少しになり、起立していても鉄柵にもたれていることが多く白内障で濁った瞳は虚ろでした。春子が亡くなった当日、午前中の作業を終え、午後は柵越しに春子を観察していました。とても暑い日で、春子は身体の向きを少しずつ変えて扇風機に当たっていました。私は、別の用事を思い出し作業を終えて春子のもとへ帰ってくると転倒している春子を発見しました・・・・・・・・・・・・。
春子は、大きな身体に加え頭、耳、足の長さ共にバランスのとれた綺麗で美人のゾウでした。
性格は頑固ですが温厚で賢く人懐こいです。ちょっと神経質なとこもあったかな?ゾウって魅力的な生き物です。春子はとてつもなく大きな器と、私達を引き付けるエネルギーと魅力をそなえもったゾウでした。春子、ラニー博子と2頭飼育しているのにお客さんは春子から呼ぶのです、不思議ですね。
最後の時期がやってきました。14時30分転倒発見から3時間31分動物園スタッフは足場を組み、チェーンブロックを使い、春子を起立させるべく懸命に努力しましたが、春子は起立することなく18時1分最後の命の鼓動に終止符を打ち、参加したスタッフ全員のもと、老齢ゾウの顔ではなく赤ちゃんみたいな顔をして息を引き取りました。朝出勤して、春子の死亡を確認するのではなく春子が息を引き取る瞬間まで立ち会うことができたこと、春子という魅力的なゾウを看取ることが出来たことは光栄に思います。
(小谷 信浩)
春子、ありがとうね!
日本国内のゾウで長寿第2位という大記録を残して春子が2014年7月30日に死亡しました。たくさんの動物園関係者に看取られたのは皆さんもご存知の通りです。死因は老衰。突然ではなくジワジワと年数をかけて衰弱して行きました。元気な頃の春子からはとても想像のつかないことですが、晩年の春子は運動量採食量共に減退して、足腰の衰えも月日を追うごとに老化の一途をたどっていきました。
「外に出たくない、これ以上行けない」と体で表現してくる春子に対して「アカン!お客さんが待ってる、出るんや!」と強引に展示したこともありました。そりゃ辛いですよ!1人と1頭でケンカして…。私もゾウを展示してこそ!ゾウたちもお客さんに見てもらってこそ!ですからね。これが動物園のお仕事、宿命といえばおおげさかもしれませんが、この天王寺動物園で出会った1人と1頭の運命のように感じます。ただ春子には、「こんな俺で悪かったなぁ」と言う気持ちが今は少しあります。しかし死亡するまでの間はスタッフ全員で飼育してきました。晩年の春子を見ていると「いずれ死ぬ。しかもそれはすぐ近くまで来ている」のは容易に判断できることでしたから、それも想定内です。ですから春子の死亡当日も私は涙することはありませんでした。読者の皆さんには冷たい奴に見えるでしょうね。春子が死んでからも仕事は続いています。その中で、ついつい2頭分を用意してしまう自分がいました。長年の行動が身について離れないのです。リンゴやビタミン入り団子、餌カゴやバケツ全て2頭分を用意してしまいます。ガランとした寝室内、錆びていく鎖など春子がいなくなったゾウ舎は生活の気配が無くなり、変化し続けています。今それを身にしみて感じています。春子、ありがとうね!
(西田 俊広)
老ゾウ春子と小僧「慶太」
私がゾウ担当になった見習い当初は本当によく春子にいじめられました。ゾウにとって担当飼育係が入れ替わるということは私たちの家族や恋人を変えられるのと同じくらい大変なことなのです。私だけでなく、受け入れるゾウにとっても大変なことなのですね。だから当初の私もまずはゾウたちの想いや苦労を正面から受け止めるしかないと思いました。「その想いがどこまで本気か試してやろう」春子はそう言わんばかりに様々な試練を私に与えてきました。でも不思議と彼女に憎しみや恨みを感じたことがなかったのです。今思えば春子の意地悪にはどこか温もりや愛情が込められていたように感じるのです。
頑固だけど筋の通った春子の生き方には尊敬の気持ちを抱いていましたし、どこか身を任せられる安心感がありました。それは共に飼育していたラニー博子にはない空気感です。人の心を見透かし上辺だけの親切には決してだまされない春子ですが、心底自分を信頼する者に危害を加えられない性格なのでしょう。それに春子はいじめるだけでなく人の苦悩や努力の積み重ねをきちんと見てくれるゾウでした。私たちの想いをもきちんと受け止め、時には心から甘えられるゾウでした。春子との付き合いは、ほんの10数年の短い期間でしたが、人として飼育係として大切なことをたくさん教わりました。多くの人々の想いを背負い、老いと闘いながら私のようなちっぽけな小僧ともしっかり向き合ってくれた春さん。大きな器を持った尊敬すべきおばあちゃん。あなたに育てられたことを今は誇りに思います。本当にお世話になりました。
(西村 慶太)
お疲れさま、春子
ゾウの担当になり10年が過ぎました。担当になった時、すでに春子は50歳代半ばを過ぎた高齢ゾウで、多くのゾウたちが死を迎える寿命とされる年代になっていました。当園ではゾウの飼育方法としてゾウと直に接する直接飼育を取り入れているために新しい担当者が春子との信頼関係を築き上げ、給餌や体のケアなどの飼育作業ができるようになるには10年近くの歳月が必要だとされていました。
そのような訳で、担当当初は、私は高齢の春子との信頼関係を築くには時間がなく、若いラニー博子への直接飼育を目指していくと、いうことでした。ところが、春子は一向に衰えることなく60歳代になっても元気に過ごしており、深く関わらなくてよかったはずの私も徐々に春子と接する時間が増え、8年を過ぎたころには一通りの作業をさせてくれるようになりました。しかしながら、さすがの春子も年老いていたのか先輩から聞いていた元気なころの春子ではなく、お祖母さんのゾウ。私と放飼場で過ごしている時には、尻尾や耳を引っ張り、まぶたをぐりぐりしても、まるで孫のいたずらを許すお祖母さんのように相手をしてくれていました。
今年に入ってからは、これまで欠かすことのなかった前足のチェーン繋留を拒否、歩行時のふらつき、放飼場に出ない、日に日に老いていく春子を見ていて、いつかは、と覚悟をしていました。誰よりも長く動物園で過ごした春子、お疲れさまでした。
(尾曽 芳之)
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