永遠の園に春子を迎えて

永遠の園に春子を迎えて


たくさんの死体を集めて

 骨と起居をともにするのが、私の仕事です。

数えきれないほどの骨格標本。

数えきれないほどの骨格標本。

東京大学総合研究博物館特別展示「命の認識」の会場で。

 

死んだ動物を集め、標本にして、未来へ引き継ぎます。亡骸と目を合わせ、骨たちといっしょに同じ空気を吸います。言葉は発さない骨ですが、そんな彼らと語り合い、ときに彼らの声の中から、新しい真実をつかみ取ります。私の毎日は、死んでいく動物たちに第二の生涯を与える仕事だといえるでしょう。そうです、私は解剖学者。働く場は、博物館です。

 人々と別れを告げて、春子が私の元へやってきました。何十年もの間、ゾウを育ててきた動物園の方々が、最後に私の博物館に死体を譲ってくださいました。天寿を全うした動物たちに次なる活躍の時を見つけ出し、教育と研究を通じて標本が生きる場を創ってきた私にとって、この悲しい死別の瞬間は、実は新たな出発の日でもあります。私は、個体の未来を博物館に託してくださった天王寺の動物園の皆さんに心から感謝を申し上げ、春子の標本を未来永劫大切に保存し続けていくことを誇りに、仕事を始めます。

 春子の死体は、いま土に埋められて、骨になる日を待っています。この後数年かけて白骨化させ、標本として整えて、館に収蔵します。標本から私たちが見つけ出すのは、ゾウについての「新しい知」です。人類がまだ知らないゾウの科学的真実がこの死体から生み出され、そして展示場で皆さんと再会することでしょう。今日は春子の第二の生涯の活躍を約束するとともに、博物館での私の毎日を紹介したいと思います。

 

 ゾウたちの未来

 どんな死体でも、それを下さる方がおられれば、私は必ず博物館に引き受けて、標本にしてきました。博物館に運ばれる死体は、ゾウやライオンやパンダやゴリラのように目立つ動物のこともあれば、多くの人が種類を知らないようなネズミやコウモリのこともあります。毎年数百体の死体を集め続け、その蓄積として博物館には何万という数の標本が残されています。

アジアゾウの幼体の標本を研究する筆者。

アジアゾウの幼体の標本を研究する筆者。

博物館にはこのようにさまざまな学術標本が収蔵されています。

 

 国立科学博物館と東京大学総合研究博物館に勤務してきた私は、以前から何体ものゾウを引き受け、その行く末を見守ってきました。たとえば多摩動物公園から寄贈されたタカコというゾウの骨があります。これはかつて東京日本橋高島屋の屋上で飼われ、日曜日の憩いをデパートに求めた高度成長期の市民の、良き友達だったゾウです。明治大学から譲り受けたのは、有名なインディラです。敗戦後の日本の子供たちにゾウを見せてあげたいと願ったインドのネルー首相が、愛する娘の名前を付けて日本へ贈ってくれた、昭和史の一コマを飾ったゾウです。大阪に近い神戸市立王子動物園からは、当時最高齢だった諏訪子を譲り受けました。桜が咲き散る季節に死んだ諏訪子を、目を真っ赤にした動物園の方からお引き受けしたときのことを、いまでも忘れることができません。

 ゾウは寿命の長い動物ですから、町の歴史、人々の記憶、時代や世相とともに生きることになります。お孫さんの手を引いて動物園を訪れるお爺ちゃんが、「このゾウはお爺ちゃんが小さい時からここに暮らしているんだ」と語りかける光景を見ることがあります。博物館の展示場でインディラを見る方々も、とくに高齢の方はかつてを思い出してしみじみとご覧になります。私のような博物館人にとって、ゾウが世代を越えて人々の笑顔とともに生きていることを実感することができる、嬉しい瞬間です。

発見を支えて

 一人では持ち上がらないほど重くて大きいのが、ゾウの骨盤です。

アジアゾウの骨盤(腰の骨)を大きなノギスで測定中。

アジアゾウの骨盤(腰の骨)を大きなノギスで測定中。

動物についての知見の多くは、こうして博物館標本から得られます。

 

 解剖学者はまずゾウの骨を観察し、長さを測定します。骨を測る道具は、自分の身長を超える巨大なノギス。大きさのデータを採るのは動物学の基本です。数値をもつことで、ゾウが年齢とともにどう成長するか、雄と雌の差はあるのか、産地による違いはどのくらいか、など、ゾウの生涯の概要を知ることができるといえます。
ところで、「ゾウは昔、海を泳いでいた」というちょっと信じがたい事実を、いま進化学者は検討しつつあります。それは、死んだゾウの腎臓を観察して、論議されている理論です。

アジアゾウの腎臓。

アジアゾウの腎臓。この角度から、矢印のように三つの部分に

分かれていることが観察できます。海獣の腎臓に似た特徴だといえます。

 

 ゾウの腎臓は、我々ヒトや普通の陸の獣と異なって、いくつかのパーツに分かれた特殊な形をしているのですが、それがクジラ・イルカやホッキョクグマといった海に生きる動物に類似しているのです。しかも実際に西アジアの発掘地からは、海の生き物と一緒にゾウの祖先の化石が見つかります。何千万年も前の遠い昔のことではありますが、ゾウたちは海で進化の初期の段階を過ごしたのかもしれません。

 生きとし生けるものは、みな死を迎えます。でも、このように博物館に収まっていく亡骸は、この先いつまでも、それを見に来てくださる人々の心に潤いをもたらし、多くの人に親しまれていくことでしょう。そして標本として人類に新しい発見をもたらし、次なる謎と好奇心を湧き上がらせてくれます。

 春子は皆さんに見守られてその命を閉じました。でも、教育と研究の場で、新しい生涯を歩み始めます。その手伝いをできることを幸せに感じつつ、博物館は遠い未来まで春子を引き継いでいきます。

 

(えんどう ひでき)