私が大阪市に就職したのは1981年4月ですが、天王寺動物園に転勤になったのは1995年4月ですので、33年間の大阪市生活の半分以上の19年間、天王寺動物園で仕事をさせていただきました。天王寺動物園に転勤になる前は食肉衛生検査所、住之江保健所と公衆衛生関係の仕事をしただけでしたので、全く内容の異なる動物園の仕事ができるのか不安を覚えたことを思い出します。
最初は飼育関係の事務の仕事を任され、国内外の動物園と動物を交換、移動させるための事務を担当しました。その中で最も印象に残っているのがクロサイをアメリカに輸出する仕事でした。クロサイは角を漢方薬や装飾品ために高価で取引されるので、密猟が絶えず、絶滅が心配されています。国際的な繁殖計画が立てられ、保護が進められています。アメリカのデンバー動物園へ1994年4月20日に当園で生まれ、2歳になった雌のサトミを輸出することになりました。
クロサイの親子
海外にクロサイを輸出するのは日本では初めてのことでした。4月から受入先との様々な交渉や調整が始まりました。当然、書類はすべて英語で、毎晩遅くまで辞書を片手に英文と格闘しました。2歳とはいえ、クロサイの子どもなので、既に母親の半分ぐらいの大きさがあり、輸送檻の手配などの輸送計画や輸出許可の申請などの事務たくさんありました。そうこうしているうちに8月になって事態が急変しました。母親のサッちゃんが妊娠していることが分かったのです。当時のサイ舎では4頭のクロサイを同時に飼育することができない構造でした。赤ちゃんが生まれても安全が確保できないことから、サトミの輸出を急ぐように働きかけましたが、その間に赤ちゃんが生まれてしまいました。新生児と母親を父親やサトミと一緒にできず、2週間以上日光浴をさせることができないので飼育に支障をきたすようになってしまいました。国際サイ財団のトム・フース博士の協力も得てアメリカ政府の担当部局と交渉をする中、さらに最悪の事態に陥りました。何と、受入予定のデンバー動物園でクロサイが死亡し、原因がサルモネラ感染症と分かり、受け入れができなくなったとの連絡が入ったのです。輸送する飛行機の便まで決まっていたので、急遽(きゅうきょ)テキサス州のタイラーのコールドウェル動物園が受け入れ先に決まりました。慌ただしく契約を結び予定通り10月7日に輸送することになりました。捕獲と搬出も大仕事で、輸送檻(おり)をサイ舎の放飼場に設置し、その中で毎日餌(えさ)を与え、慣れたところで捕獲する方法をとりました。輸送予定日にサトミは無事に輸送檻(おり)に収まり、コールドウェル動物園から来た獣医師と共に無事にアメリカへ旅立って行きました。
クレーンで持ち上げられたサトミ
大役を果たして、ほっとしたのもつかの間、2週間ほどたったある日、出勤すると1枚のFAXが机の上に置いてありました。内容を読んで、一瞬目の前が真っ白になりました。サトミが死亡したとの連絡だったのです。移動中に暴れた時の傷が原因の感染症で死亡したとのことでした。担当者に何と説明しようか。本当につらかったできごとでした。その後サッちゃんが1999年に11月11日に産んだサトミの弟のサミーを2002年4月9日にイギリスのチェスター動物園に送り出し、そこでは繁殖にも成功しました。
チェスター動物園へ出園したサミー
サトミのことはとても残念なできごとでしたが、その時の教訓が生かされ、チェスター動物園での繁殖成功につながったのだと思っています。その母親のサッちゃんも今年の2月1日に亡くなりました。
1997年から動物病院の担当になり、動物の治療に当たることになりました。担当になって間もないころ、雌のヤギが難産で苦しんでいるとの連絡から飼育担当者から入りました。このままでは母子ともに死亡してしまうと判断し、帝王切開をすることになりました。開腹して赤ちゃんを取り出すと1頭は既に死亡しており、残る1頭も間もなく亡くなってしまいました。赤ちゃんは救えませんでしたが、母親は救うことはできました。ところが、母親は衰弱が相当激しかったのか、傷口が治っても立ち上がることができず、ずっと座ったままでした。思いつく治療法をいろいろ試したのですが、やはり立ち上がってくれません。そこでひらめいたのが「お灸(きゅう)」でした。早速、近くの薬局へ走り、もぐさを買って来ました。飼育担当者も同僚の獣医師も「そんな治療法なんて、聞いたことがない」と言われましたが、「ものは試し、なんでもやれることはやってみよう」と皆を説得し試してみることにしました。腰椎あたりに、「お灸(きゅう)」すえてみました。毎日、1日1回、2、3日続けると、なんとなく気持ちよさそうに表情をしているようにも見えました。そうこうするうちに、何とヤギが立ち上がったのです。「お灸(きゅう)」や「鍼」などの東洋医学は家畜ではかなり応用されています。とにかく、何をしてもだめだったヤギが立ち上がった時のうれしさは何とも言えませんでした。残念ながら、その後、「お灸(きゅう)」を治療に使うことはありませんでしたが、「お灸(きゅう)」の効果を証明できた症例でした。
ヤギの帝王切開
もうひとつ、家畜の治療の思い出があります。2001年2月のことでした。ヒツジの母親が朝の9時半ぐらいに破水したのですが、昼を過ぎてもいっこうに生まれる気配がないとの連絡が入りました。原因として考えられるのは、お腹の中の赤ちゃんの位置が悪いか、大きくなりすぎているかです。この場合の処置は産道に手を入れて赤ちゃんを引きずり出すか、帝王切開です。母体への負担を考えて、産道に手を入れることにしました。飼育担当者に母親を押さえてもらい、少しずつ手を入れていくと、ぶよぶよとした羊膜に当たりました。羊膜をそっと破って破水させ、さらに手を入れていくと赤ちゃんの前足がありました。包帯を片足ずつ赤ちゃんの蹄(ひづめ)にかけ、引っ張ります。ヌルヌルして滑るので難しい作業でした。学生時代にウシの産道に手を入れて妊娠診断する実習をしたことはありましたが、出産の介助は初めてでした。包帯を引っ張っても頭が引っかかって出てきません。頭を正常な位置に戻して引っ張ると、赤ちゃんがズルッと出てきて、ドッと歓声がわきました。展示場での作業でしたので、気が付けばたくさんのお客さんが取り囲んでいたのでした。
来年の1月1日には天王寺動物園は開園100周年を迎えますが、長い歴史のどこかに少しでも私の足跡を残せたのは私の人生の誇りです。天王寺動物園の益々の発展を祈念して筆をおきたいと思います。
(天王寺動物園前園長 高橋 雅之)
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