“鳥の楽園”の食事事情


★はじめに

 天王寺動物園ではオランウータンを飼育していましたが、最後の1人のサツキが2012年10月に亡くなり、オランウータンはいなくなってしまいました。私が担当を務め期間に3人のオランウータンとの出会いがありました。彼らの思い出と飼育のお話をしたいと思います。

 

オランウータンのお話
 そもそもオランウータンとはどんな動物なのでしょうか。簡単ですが、説明いたします。キツネザル類、オナガザル類、類人猿などのサル類からヒトまでが、分類上、サル目、霊長目ともいう目に属します。霊長とは、優れた存在・不思議な力などの意味があり、人は万物の霊長という言葉がありますね。ヒトに最も近い類人猿にはチンパンジー、ピグミーシンパンジー(ボノボ)、ゴリラ、オランウータン、テナガザルの仲間がいます。

 遺伝子的に最も人に近いのはチンパンジーが有名ですが、オランウータンも近くで見ると私たちの仲間なのだと感じます。交尾はオランウータンとヒトはよく似ています。ヒトが地上で暮らすのに対して、オランウータンは樹上で暮らします。最も樹上性の高い類人猿だといわれていて、地上50mに達する林冠部で単独で暮らし、めったに地上に降りてこないともいわれています。そのため野生の観察が大変難しい動物で、生態もまだ詳しいことがわかっていません。

 天王寺動物園の古い資料ではオランウータンの寿命は、35歳程度と書かれています。正確な寿命はまだわかっていませんが、最近では野生で50歳を超える個体がたくさん観察されてきました。野生ではどのくらいまでいきるのか?それを知ることは飼育する上で重要なのです。寿命を35歳とするのと50歳とするのではどうでしょうか。たとえば、高齢になり体が弱ると、繁殖計画などの麻酔を伴う移動や、健康診断に適切な判断ができていない可能性があり、飼育方針に大きな違いが生じます。我々ヒトの進化の隣人であるので、いまだに謎が多いオランウータンを詳しく理解することは、大変意義のあることなのです。

 

オランウータンを取り巻く現状
 オランウータンにはボルネオオランウータンとスマトラオランウータンがあります。以前は亜種とされていましたが、最近の分類では別種とされています。野生での個体数は共に減少傾向にあり、ボルネオ島約5万頭。スマトラ島ではさらに深刻で、約5千頭であるとされています。100年ほど前にはその個体数は100万頭と推定されており、分布も広かったのですが、現在では大半の地域では絶滅し、ボルネオ島とスマトラ島にしか、生息していません。ボルネオ島とスマトラ島でも絶滅の危機に瀕しています。主な原因は石鹸や食品の原料となるパーム油を取るためにアブラヤシのプランテーションが開発され、さらに木材や紙の原料としても彼らの生息地である森が伐採されたことによるものです。アブラヤシや木材などは人間生活に欠かせないものになので、開発を止めることは難しい問題です。

 また、ペットとしての需要があるので、密漁の問題もあります。かわいい子どもを高く買ってくれる人がいるので、密漁者は大金を手に入れることができるのです。オランウータンは子育て期間が6~9年と哺乳類の中でも最も長いとされています。高い樹上に生活するオランウータンの子どもを捕獲する密漁の効果的な方法は、母親を殺してから、子どもをとる方法です。サツキミミもペットとして売られ日本へやってきたところを摘発され、動物園に保護されました。

 オランウータンを飼育してきた私の経験から、サツキと自宅で暮らすことを考えるとぞっとします。子どもの時はかわいらしいのですが、大人になると手に負えなくなり、結局は処分することになってしまいます。ヒトが万物の霊長なのか疑わしいお話です。

 昨今では生息地域外での種の保存の場所として動物園は期待されていますが、オランウータンの国内の個体数は減少傾向にあります。今まさに国内オランウータン個体維持のため日本の動物園は踏ん張り時なのです。

 

3人の素晴らしい仲間たち
 それでは3人との思い出を振り返ってみましょう。

人懐っこくてかわいらしいモモコ~手術の決断

 モモコは天王寺動物園に来る前は宮崎市のフェニックス自然動物園で飼育されていて、ショーにも出ていた経験があり、よく調教されていました。そのため芸達者で頭もいい子でした。指をさしたものを貸してと頼むと渡してくれたり、指さしならぬ舌さしで、「それ頂戴」と私に、自分の意思を伝えてくれました。樹上で生活するため両手がふさがることも多いオランウータンは口も器用に使うのです。その姿が愛らしく、ある程度の意思疎通ができるので、彼女と向き合っているのが好きでした。

草を食べるモモコ
草を食べるモモコ


 彼女は人工哺育のため子どもができたとき、子育てに私の介添えがいるかもしれないと思い、彼女が好きなものを一時的に預かる練習などをしていました。よく食べ物を貸してくださいと頼むと、しらばっくれて、違うものを渡してきたものです。

 当時26歳と若いモモコには繁殖を期待していたのですが、生理不順が続き、交尾はするもののなかなか妊娠にはいたりませんでした。調べたところ大きな子宮筋腫があり、治療は開腹して摘出手術しかなく、大手術になりますが、不正出血も日に日にひどくなり、モモコが痛そうにしている姿をみていると、このままでは繁殖もできないので、手術で改善できれば、これ以上の悪化をしても、つらいであろうと思い手術することにしました。しかし5時間に及ぶ壮絶な手術のあと、そのまま目覚めることなく、翌日には冷たくなっていました。

 

ミミは心優しい偉大な男
 ミミは現在も福岡市動物園で健在です。彼も波乱盤上の人生を送ってきました。ミミもまた神戸港で密輸されそうになったところを保護され、短期間だけですが王子動物園に収容された後、豊橋市動物園で移動しました。豊橋ではスマトラオランウータンの飼育に専念することになったので、ボルネオオランウータンのミミは福岡市動物園に移動しました。福岡でしばらく暮らしていましたが、オランウータン舎の新設工事のため、期間限定で、神戸市立王子動物園に移動してそこで繁殖に成功しています。

足を差し出すミミ
足を差し出すミミ


 その後、しばらく雄不在だった天王寺動物園に期限付きでありますが、来園しました。雄は神経質で移動など環境の変化に弱いとされていますが、ミミは天王寺動物園の環境にすぐに順応しました。人工哺育で交尾が苦手?なモモコとも交尾をしました。サツキとは特に相性がよく食べ物を譲って食べさしてもいました。オランウータンの雄にはフランジと呼ばれる頬だこがあります。これは強い雄のしるしでフランジ雄といいます。若くて弱い雄はこのフランジがないのでアンフランジ雄と言われています。フランジは歳を取ると出てくるのではなく、自分の意志でフランジ雄になっている可能性があるといわれています。フランジ雄はアンフランジ雄に対して近くの餌を食べさすことを許すなど、寛大な態度をとるといわれています。

 ミミが来園時、私は担当でありませんでしたが、その時は私にも寛大でした。しかし、私が担当になると態度が変わり威嚇してきました。音に敏感で音を立てると怒るので、彼の前を通るときは「とおりますよ~」と声掛けを心掛け、静かに通ったものです。徐々に距離を詰めていき、次第に打ち解け、私が爪を砥いであげるとうっとりするまでにもなりました。ひょっとして私のことをアンフランジと思っていたかもしれません。福岡でいつまでも元気で暮らしていることを願っています。

 

サツキ 繁殖への最後の期待
 サツキもまた密輸されて和歌山のペットショップに持ち込まれたところを保護されて、40年前天王寺動物園へやってきました。以来、天王寺動物園でずっと暮らしてきました。オランウータンは顔の表情に乏しいと一般的にいわれますが、サツキの目を見れば喜怒哀楽すぐにわかりました。他の2人に比べると自分の意思で何かを考えたり行動したりできる、とっても頭のよい女性でした。道具の使用やクレヨンで絵を書いたりするのが得意でした。

 ミミとの間に2009年11月頃、子を身ごもりましたが、妊娠約250日あたりで残念ながら死産となりました。その後2011年9月頃、生理が回帰したので再び繁殖に取り組みました。国内の出産した雌の年齢をみると20代から30代前半までが多く、30代後半になってくると稀なケースになります。40代のサツキが出産すると国内では最高齢出産となることになります。国内の最高寿命については59歳の記録があります。野生・飼育下でも50歳を過ぎても生きている個体が見られ、さらに野生では50歳を過ぎても子育て中の母がいることがわかってきました。

 こうした報告に勇気づけられてサツキの繁殖に期待をしていました。もしもサツキが繁殖できたならば、その他高齢個体にも期待ができ、ペアリングの幅が広がり個体維持に一段と希望が高まります。前回の死産も繁殖能力のあることの表れであると、前向きにとらえ繁殖を継続することにしました。

新聞をめくるサツキ
新聞をめくるサツキ


 しかし、2012年2月頃から体調が悪くなり、食が細くなってきました。目やにが多く出る症状があったため、ミミを福岡にお返しする日も迫っていましたが、いったん治療に専念するためペアリングは見合わせることにしました。しかし、ミミ搬出2カ月前に生理不順になりました。最後に生理らしき反応がありましたので、それにかけることにしましたが、ミミを福岡え搬出した7日後に死亡してしまいした。解剖の結果、主に心臓やその他臓器が弱っていたことがわかりました。死ぬ前の数日間は食欲がなかったのでおにぎりを与えていました。私は人間が調理味付けしたものを野生動物に与えるのは好きでないのですが、おいしそうに食べている姿をみて、いずれ元気になることを祈っていました。しかし、帰らぬ人になってしまいました。

 

動物園は何のためにあるのか

 皆様は動物を見て心を癒された思いがあることでしょう。その一方で動物園のような狭いところで一生過ごすことを思うと、かわいそうただという気持ちを抱いたこともあるかと思います。

 動物園は長い歴史を通じて今日では、生息域以外での種保全、野生動物の研究、研究に基づいた教育活動、環境教育が本来の任務となっています。動物園では「学」というということが1つのテーマとなっております。動物園で野生動物を飼育して、本来の任務に取組むことは彼らに報いることになるのです。サツキモモコが、動物園で生きてきた意味は私たちが学ぶためなのです。サツキモモコに感謝の気持ちでいっぱいです。

 エンリッチメント幸せとは何か?あまり偉そうな事は言えませんが、私は飼育していく上で、動物の幸せを一つ一つ考えていこう。こういった事を研究していこうと思っています。動物は長い時間をかけて生息地にあわせてその体を進化させてきました。動物の幸せを考えるとき、本来持つ行動習性を発現できる環境作りをすることが幸せを具現化する一つの方法だと考えられています。このような具体的な方法を環境エンリッチメントといいます。

 しかし、まずオランウータンの飼育では、彼らとの信頼関係を構築することも大切だと痛感した覚えがあります。このようなことがありました。手先が器用な彼らに道具を使わないと目的が達成されない状況をつくり、それに対して夢中に取り組んでもらうことで、

 良いエンリッチメントになることを期待しおこないましたが、信頼関係がないまま、そういったことをすると逆に不信感を持たれた覚えがあります。

 サツキは高年齢なので、子どもを産んだ時何が起こるかわかりません。介添えを必要な場合を想定して対処できる準備もしたかったので、まずは信頼関係の構築が最優先と考えたのです。なかなか大変でしたが、信頼関係に手ごたえを感じてきたと思えるようになってきたので、エンリッチメントを試みようと思いました。

 その一つに彼らの大好物なイチジクの仲間の木を植樹する案がありました。ただ単に植えると嗜好性の高いイチジクの木はすぐにめちゃめちゃにされて、枯れてしまうことが想像できました。そこでイチジクが大きくなるまで消防ホースを使って、イチジクの木を守るシェルターを作ることにしました。ただ単にイチジクを守るシェルターではなく、シェルターの上部で、オランウータンがくつろげるような作りにしてみました。

 このようなものをサツキがいる横で作ると昔でしたら唾が跳んできて、えらく怒っていたと思うのですが、私が作業している横で見ているサツキは興味津々で、早く作ってよと訴えているような感じがしました。そしてシェルターが完成してサツキを入れたところシェルター上部でくつろいでいる姿を見て嬉しかった思い出があります。

イチジクを保護するための消防ホースの上でくつろぐサツキ
イチジクを保護するための消防ホースの上でくつろぐサツキ


 オランウータンに対して、何をしてあげたら喜んでもらえるか考えることが楽しかったです。ミミがいなくなり、サツキが一人になっても、そういった楽しみがこれからあったと思うと残念でなりません

終わりに

 私がオランウータンを担当したのは本当に短い期間でしたが、最後にオランウータンの飼育をできたことを誇りに思い、彼らから学んだことをこれからの飼育に生かしていきたいと思います。また、この素晴らしい動物、オランウータンを再び天王寺動物園で見られる位、増えてくれることを祈っています。最後に彼らを見て動物園で学んでくださった皆様、そして可愛がってくださった皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

(上野 将志)