これまでの担当動物あれこれ


鳥の楽園にて
 私が、天王寺動物園に就職したのは1989年で、飼育係としての第一歩を踏み出したのは“鳥の楽園”でした。掃除用具を両手に持ち先輩の後をついて掃除に入ったときのことは、今でも鮮明に覚えています。シュバシコウが優雅に飛びまわり、嘴(くちばし)をカタカタと鳴らし盛んに首を反り返し求愛している姿です。当時は、ガン・カモを主に水鳥類を約60種200羽飼育していました。繁殖シーズンを迎えると鳥たちのディスプレイでケージ内は大にぎわいとなります。毎日、巣箱や草むらから集めてきた卵は孵卵器(ふらんき)に入れ人工孵化(ふか)させます。このような環境では、自然孵化(ふか)をしても肉食のシュバシコウのような天敵がいるために雛(ひな)の生存率は低くなります。しかし、大型のカナダガンともなると抱卵中や巣立ち後の親の性格は非常にきつくなり、人が近づこうともなれば勢いよく足に飛びかかってきて嘴(くちばし)で挟み付け、翼でたたきまわしを繰り返し攻撃してきます。まともに足のすねに翼の硬い骨があたると、これがまた結構痛いものです。このような親鳥に守られていても、日に日に雛(ひな)の数は減っていくので人工孵化(ふか)をしなければなりません。シーズンオフには、翌年の繁殖に向けて巣箱の修理、作成に取りかかります。当時、餌(えさ)用のアジは木製のトロ箱で入荷していました。この木箱は規格ものなので解体して再利用することで簡単に作ることができました。極め付けは、出来上がった巣箱をガスバーナーで軽くあぶり、焦げ目をつけることです。腐りにくくなるうえに、木目が浮かび上がりすごくいい風合いがでます。先輩の知恵と職人技を学びました。

トロ箱を再利用した巣箱

トロ箱を再利用した巣箱

類人猿舎にて
類人猿担当になれば、必ず彼らからの洗礼を受けなければなりません。朝、類人猿舎に入室したときから始まります。チンパンジーは、声を張り上げ体全体で物に当たりまくり攻撃的に暴れ、ときには糞(ふん)をも投げつけてきます。オランウータンは一見物静かと思いきや寝室の前を通るとツバを吐きかけてくるなど苦悩の日々が続きました。
毎日、彼らと接していると興奮しだすときには毛を逆立て体を力み揺らしはじめたら攻撃的な前触れや、顔をよく見ると眉間(みけん)にしわを寄せ、けわしい顔つきになるなど性格や癖も分かってきます。月日が経つにつれ獣舎に入ると彼らの方からあいさつの声へと変わっていきます。足音でだれが入ってきたのか判別できるのでしょうね。担当者として、彼らを展示して収容すること、檻(おり)(おり)越しに接近して薬を飲ませ危険な物を持っていれば回収することは必須でしたのですさまじい葛藤(かっとう)は幾度とありました。担当を離れる最後の日、お決まりの握手をしていつものように振舞ながら餌(えさ)を手渡します。自然と涙がこぼれてきました。彼らはどう感じていたのでしょうか・・・

カバ舎にて
昔のカバ舎は陸地部分がかなり広い構造でした。昼間には大きな巨体を横たえて2頭仲良く添い寝する姿や短い脚でのそのそと歩くようすも人気がありました。しかし、雌が発情しているときには要注意です。雄の性格は荒くなり雌の後をつきまとい離れようとしません。プールから陸上へ上がればあの巨体から想像もつかないスピードで走り回り、掃除をしていた私はホースを投げ捨て慌てて非難した記憶があります。

旧カバ舎(1994年撮影)

旧カバ舎(1994年撮影)

サイ舎にて
 クロサイといえば、全身にセメントを塗ったかのような頑丈な皮膚に、何といっても鼻先ある立派な角を想像されるでしょう。しかし、生まれたての赤ちゃんには、まだ角が生えていません。体はサイそのものなのですが、鼻先だけがつるりとしていてサイとは思えないすごく愛嬌(あいきょう)のある顔をしています。母親の後ろにべったりとくっつきまわり、すごく甘えん坊でした。やがて成長するにつれて体も大きくなると今後繁殖を目的に搬出するために、搬出入専用の部屋へ移動させます。部屋の一部分には鉄扉があり、その外側に輸送檻(おり)をドッキングし扉を引くと檻(おり)の中に入れるにします。檻(おり)は頑丈な鉄板に囲また構造なっていますが、前方の部分は、餌(えさ)を置きサイを誘導するために縦に馬栓棒(数本の鉄パイプ)が入っているだけです。檻(おり)の幅は、体が反転できないほどの狭いので、サイは中に入ることをもちろん警戒します。檻(おり)の中にえさを置き、前足から、全身が入るまで時間をかけてゆっくりと馴らしていきます。搬出当日は失敗が許されません。一度、失敗してしまうと警戒心が強まり当分の間、いや二度と入らないかもいしれませんからね。役割分担は、主担が檻(おり)の中にサイを誘導し落ち着いて餌(えさ)を食べているところで合図し、私がバックできないように檻の後部の左右の鉄板に開けられた穴に馬栓棒を1本通します。最悪、この棒を入れるのにもたつき、暴れ出せば大事故になりかねませんし今までの苦労が水の泡となります。この1本目の棒が生死をわけることとなります。たいそうかと思われますが・・・さあ本番です。開始前に片方の穴に棒をかけ音をたてず息を潜めます。ここで物音を立てていつもと違う雰囲気を感じ取られ、入るのを嫌がられればたまったものではありません。そして、合図とともに一気に棒を差しこむことができ、無事収容することができました。このような状況では、動物に感づかれないよう普段と変わらない雰囲気を保つことが大切です。

生まれた翌日のクロサイの赤ちゃん(1996年撮影)

生まれた翌日のクロサイの赤ちゃん(1996年撮影)

アシカ舎にて
 アシカ池では毎年6月~7月ごろに赤ちゃんが生まれます。やがて、年が替わって1月から2月になると離乳時期です。子どものアシカは親たちの餌(えさ)である池にまいたアジを食べようとしないので、次第に体重が減ってきます。その頃になると池掃除ごとに子どもの体重測定を行います。体重が減りだすと離乳期、アシカの餌(えさ)であるアジを食べる練習をさせなければなりません。しかし、近くに母親の姿や、鳴き声が聞こえると赤ちゃんは落ち着かないので離れた場所へ移動させます。まずは、生きている金魚やドジョウを泳がせて興味を持たせ捕まえて遊ばせることから始めます。そのうち、くわえては出しを繰り返し固形物がのどを通る感覚を覚えたらアジの切り身から1匹のアジを食べることができるようになります。なかには、固形物をくわえるだけでなかなか飲み込むことができない子もいます。このような子には、強制的に口の中に押し込み「のどごし」を覚えさせます。動物捕獲用の玉網(ゴルフネットで作られている頑丈で人間が入るくらいの虫取り網を想像してください)の底の部分の角を少しほどいておき、捕獲したときに口先が出るようにしておきます。捕獲後は、1人が両ひざで体と両鰭(ひれ)をはさむように馬乗りに押さえ付け上あごにタオルを掛けて引き上げ、もう1人が同じように下あごにタオル掛け口を開けさせてアジをのどの奥に押し込みます。しかし、この頃の体重は30kg前後で力も強く体をくねくね回転されると押さえつけるだけでも大変で、歯も鋭くなっているので噛まれると大怪我を負います。もちろん手には分厚い皮手袋と安全対策は万全にしておかなければなりません。

隔離室で餌付(えづ)け中のアシカの子

隔離室で餌付(えづ)け中のアシカの子

 

 2011年から現在、私はコアラを担当していまが、飼育している4頭のうち3頭が高齢個体で、残る唯一の若手のホープ、タラオも餌(えさ)の好み範囲が狭く餌(えさ)のユーカリを選ぶことに他の3頭より苦労させてくれます。見た目には可愛い動物ですが何かと悩まされています。

 このように、担当した動物を振り返ってみますとさまざまなことを思い出します。担当する動物によっては、ひとつ間違えると命取りになりかねません。これまでの経験を生かして、これからも気を引き締めて動物飼育に携わっていきたいと思います。

(久田 治信)