チンパンジーの社会を観察する


  私は大学、大学院と7年ほど天王寺動物園でチンパンジーの関係を観察してきました。チンパンジーというと服を着てショーに出ているイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、自然のチンパンジーは仲間と一緒に暮らす動物です。天王寺動物園でも自然に近いように、チンパンジーが仲間と暮らせるようにしています。4〜5頭と小さな群ですが、仲良くしていると思ったら けんかが起きたり、強いものにへりくだったり、彼らの関係は、人間の関係によく似ています。私は、チンパンジーと人間の行動を比較することで、チンパンジーや人間の「社会」について考えています。

天王寺動物園のチンパンジーの仲間たち
天王寺動物園のチンパンジーの仲間たち

 

 もちろん、チンパンジーと人間をそのまま同じように比較することはできません。けれども、チンパンジーと人間は似ていることもたくさんあります。例えば、道具を使って食べ物をとりますし、食べ物は一人じめせず、自分より弱い相手にも分けてあげることもあります。けんか相手の前で怪我をしたふりをし、攻撃されるのを避けたチンパンジーもいたそうです。

 チンパンジーの様々な行動や関係の中で、私が特に興味を持っているのは、雄と雌の関係です。人間は男性と女性では感じ方一つをとっても違います。チンパンジーにも雄と雌で行動や他個体との関係のとり方などに違いがあることが分かってきました。その違いが社会にどう影響を与えているのか興味を持っています。

 野生のチンパンジーは、複数の雄と複数の雌とその子どもが集団で生活し、集団内では、雄の力が強いのが通例です。しかし、私が観察を始めた2005年の天王寺動物園は、雄が若く、年上の雌が独裁者のように振る舞っていました。雄が成長すると集団の最優位個体が雌から雄に変わることも予想できました。その過程で何が起こるのか。雌と雄どちらが優位に立てば 集団の中が平和になり 安定するのかを研究テーマに定め、観察を始めました。

 観察では、起こった事件をノートに書き留め、同時に、チンパンジー同士の毛づくろいと、昼間に運動場で与えられる餌(えさ)の獲得量を記録しました。毛づくろいは、私たちの感覚では挨拶や会話のようなもの、 それを観察することで、彼らの微妙な関係を知ることができます。餌(えさ)の獲得量は、強い個体ほど多く取るので、個体間の直接的な力関係を見ることができるのではないかと考えました。

 当時集団を牛耳っていた雌のチンパンジーはアップルという24 歳(05年当時)の個体です。アップルは同年代の友達以外の相手には、毛づくろいをしてもらっても、お返しはしませんでした。加えて、弱い個体が挨拶を欠かすようなことがあれば、容赦なく攻撃し、餌(えさ)のほぼ全てを独占していました。

 2006年の秋になると、群の中の雄であるレックスという12歳(06年当時)の個体が、アップルに挑むようになりました。チンパンジーの成長は人間より少し早く、人間の年齢に例えるとアップルが30代半ば、レックスが高校生ぐらいになります 。最初は返り討ちにあい逃げ出していたレックスですが、回を重ねるごとに、追いかけてきたアップルを叩くなど存在感を増してきました。依然餌(えさ)はアップルが独占し続けていましたが、毛づくろいの関係では、今まで絶対にレックスには毛づくろいを受けても返さなかったアップルが、レックスに毛づくろいを返す光景が確認され、アップルとしてもレックスの力を無視できなくなっていることが見て取れました。レックスは同時に、集団の中でアップルに攻撃されている個体がいると、戸惑いながらも間に入り、かばうようになりました。

 レックスアップルに初めて勝ったのは、2007年の5 月でした。朝方、レックスアップルに挑み、激しい闘争の後、アップルは背を向けて逃げ出しました。8月にアップルは復権をかけるかのようにレックスに勝負を挑みましたが、逆に数分立ち上がれないほどの攻撃を受け、力関係は完全に逆転しました。

チンパンジーの相関図
チンパンジーの相関図


 力関係が逆転し、雄に優位が移ると、集団の中の様々な関係に変化が出ました。毛づくろいの関係では、アップルとレックスはともに毛づくろいをする対等な関係になりました。餌(えさ)の獲得量では、アップルが独占していた餌(えさ)がレックスだけではなく、弱い個体にも行き渡るようになりました。

 ある日、群の中で一番弱かったミツコというチンパンジーが餌(えさ)を拾い、アップルから攻撃を受けました。そのときミツコレックスに助けを求め、レックスが応じると、ミツコアップルに砂をかけて抗議を始め、ミツコレックスアップルに詰め寄るというできごとがありました。雄のレックスは自分の餌(えさ)だけではなく弱い個体も餌(えさ)を採れるように配慮し、群の中の安定にも気を使えるようになっていました。

アップルに抗議をするため向かっていくミツコ(左)とレックス(右)

アップルに抗議をするため向かっていくミツコ(左)とレックス(右)


 レックスが最優位を確立して以降、群の関係は、徐々にいざこざが減り、平和を取り戻しつつあります。しかし、レックスも、自分が一番強くなると、次第に傲慢になり、団結した雌たちに痛い目にあわされたこともありました。さらに、当時の状況を考えると、アップルは子育ての最中で、育児のストレスもあったのではないかと思います。弱い雌をかばったレックスも、その雌と交尾をしたいという下心があったのかもしれません。このようなことは、まだデータとしてはっきりさせることはできません。しかし、そんなことがありそうだと思えるほどに、彼らの行動は人間に似ており、様々な要因がからみあって、微妙なバランスを保ちながら、天王寺動物園のチンパンジー社会が成り立っていることがわかってきました。

レックス(右)の支援を得てミツコ(中央)がアップル(左)に詰め寄る。

レックス(右)の支援を得てミツコ(中央)がアップル(左)に詰め寄る。

アップルの後ろにいるのはアップルの子どものレモン


 人間社会は文化や作法などが複雑に関係し、人間同士の関係や思っていることが直接的に見えてきません。チンパンジーにも、そのようなことがないわけではありませんが、人間に比べるとより直接的です。異国での体験が自国の文化を知ることに役立つように、人間以外の存在でありながらよく似ているチンパンジーを知ることによって、より人間というものが見えてくることもあるのではないかと思います。チンパンジーのことを知れば知るほど、分からないことや、ややこしいことが出てきます。彼らから学ぶことはまだたくさんあると思っています。

(ふくなが よしひろ)