昭和49年(1974)4月1日にあこがれの天王寺動物園に獣医師としての職を得、喜び勇んで仕事を始め38年。年月は矢の如く過ぎ、この度、定年退職を迎えました。そんな私に、最後の執筆の場を与えていただきありがとうございます。
この38年を振り返り、まず思い出すのはいじめです。もちろん私がしたのではありませんし、人にされたのでもありません。動物、それもゾウやチンパンジーにされたのです。
新たに入って来た青二才の獣医師に対し、アジアゾウの春子も、当時いたユリ子も、それにまだ若かったラニー博子でさえ、いじめをしかけてきたのです。その方法とはゾウ特有のあの長い鼻を振り回し、加速度をつけて鼻水をかける、というものです。これをやられると頭の先から足の先まで、ネチャネチャの鼻水だらけになります。
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64歳と人生の先輩であり、動物園生活でも先輩であった唯一の動物であるアジアゾウの春子 |
でも先輩の飼育担当者から、ここで嫌がって逃げたりすると、こいつは私のことを怖がっている、今度来たらもっといじめてやろう、とゾウたちになめられ二度と治療できなくなる、だからここは全く我関せずというような平気の平左の顔をするよう、きつくいわれていましたから、さも平気な顔をしてこの洗礼を受けました。しかし、やはり先輩のいう通りです。何度か平然とした顔で対応するうち、この新入りにはやってもしょうがないわねぇ、と3頭のゾウから受け入れてもらえ、鼻水かけの試練も終えました。
チンパンジーの方はどの個体からもやられたのですが、当時いた雄のリカによるものが最も強烈なものでした。
屋外の展示場に近づいても何もしないのですが、屋内の寝室に入るとチンパンジーたちはとても大きな声でギャーギャー騒ぎ、近くにあるものを何でもかんでも投げたり叩いたりしてより大きな音を立てようとします。これは初めから分かっていても耳を塞ぎたくなる程の強烈なものですが、何も知らず、予備知識なしに入室してこの洗礼を受けると普通の人ならとても驚いて退散するはずです。ここでもゾウたちと同様、平気の平左の顔をする必要があるのです。
オスのリカがもっとも強烈であるのも理由があります。彼は天王寺動物園にいるチンパンジーの中のリーダーでしたから、ここで新参者に対してしっかり威嚇したぞ、こうして一生懸命群れを守っているのだぞ、と仲間のチンパンジーにアピールする必要があったのです。ここで手を抜いていると、なんだこのリーダーは、キチンと我々を守ろうとしてくれていない、リーダー失格だ、と判断しかねられません。彼は私を驚かせることで自分自身の地位の確保もはかっていたのです。
いじめに次いで頭をよぎるのは、やはりコアラです。導入の準備段階から現場の担当獣医師を離任するまで、ほぼ15年間コアラにべったりかかわったからです。
私は天王寺動物園で仕事をするようになって、通勤には当初から地下鉄の御堂筋線を使っていました。御堂筋線の動物園前駅は、皆さんご存知の通り、タイルで彩られた動物の絵がありまして、結構、子どもさんから人気なのですが、コアラの絵もあります。
私が就職した昭和49年時点では、まだ日本の動物園でどこもコアラを飼ったことはなく、確か世界的に見てもオーストラリア以外ではアメリカのサンディエゴ動物園でしか飼育していませんでした。ですから、こんなタイルの絵を描いてくれていても、私が在職中にコアラを天王寺動物園で飼育展示するなんて夢のまた夢だと思った記憶があります。
昭和51年に新婚旅行でアメリカのサンディエゴ動物園を訪ねました。コアラ舎でコアラを探したのですが、当時のサンディエゴ動物園のコアラ飼育場には10m位もあるような高いユーカリが数本植えられていて、コアラはその木の上にあがっていました。茂った葉に隠れて大変見づらく、地元の人もコアラを見たくて見上げるのですがよく分かりません。誰かが、「あっ、見えた」と言うと皆さんその人の周りに集まります。けれど、よく見つけられない内に、また別の所で「こっちにいる」という声がすると、またぞろぞろ皆がそこに移動する、といった感じで、結局はっきりとコアラを確認することはできませんでした。そんな具合で展示効果も低いし、飼ってもしようがないなぁ、というのがコアラに対する第一印象でした。
しかし、日本にもコアラをという声が出始め、次第に強くなり、ついには昭和59年(1984)に最初のコアラ一団が日本に導入されました。これらは東京都多摩動物公園、名古屋市東山動植物園、そして鹿児島市平川動物公園へ寄贈されました。大阪市も遅まきながらコアラ導入に向け動き出し、昭和59年、私は飼育施設および飼育方法等の調査を命じられ、大阪市と姉妹都市であるメルボルン市のメルボルン動物園に研修のため1カ月滞在しました。この1か月は本当に充実したものでした。コアラの飼育に関する情報をたくさん得ることができたのはもちろんですが、海外の動物園の状況、運営方法等様々なことを体験しました。その上、到着後しばらくの間は日本で予約していったホテルに滞在していたのですが、獣医師のレイモンド・バトラー先生と知り合い、ご夫婦(奥様のキャロルは獣医師臨床助手としてレイモンドの下で勤務されていました)そろって日本びいきだったこともあって、メルボルン動物園内にあるご夫妻の宿舎にホームステイするよう誘われ、まるで家族の一員になったように海外生活を楽しめたのも楽しかった思い出の一つです。
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昨年COP10で来園された世界動物園水族館協会ディック事務局長(中)と鴨川シーワールド 荒井一利館長(右)と |
その後も平成元年に天王寺動物園への第一陣のコアラ導入の際にも1カ月、また翌年の第2陣のコアラ導入にあたってもコアラを迎えに出張を命じられました。この38年間に合計11回の海外出張を命じられたのですが、うち6回がコアラに絡むことでのオーストラリア出張でしたから私の、コアラへの思いは否が応でも高まらざるを得ません。
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第2陣として来園し21歳まで長生きしてくれたオスのハク |
皆さんよくご存知の通りコアラを飼育するためのユーカリの栽培費用は高額です。そのため、まるでコアラが悪者のように扱われるのは長年コアラに関わってきた私としては、大変つらいものがあります。コアラはそのようにしなければ飼育できない動物なのです。これではこれまで天王寺動物園で入園者増に貢献し、動物の不思議さを皆さんにお知らせするため、はるばるオーストラリアから来てくれたコアラも浮かばれません。何かさらなる良い工夫を天王寺動物園の皆さんにお願いして筆をおきます。
(ながせ けんじろう) |