寅、虎、トラ


 今年の干支であるトラにちなんでトラとの思い出話も含め、トラあれこれをご紹介しましょう。
 トラはアジアに広く分布する動物ですが、日本には生息していません。トラが日本で初めて記録されるのは西暦545年のことで、朝鮮半島南西部にあった古代国家、百済から欽明天皇のもとにトラの皮がもたらされたことが日本書紀には記されています。生きたトラが日本に初めてお目見えするのは890年のことで、それ以降、時の天皇や将軍に貢ぎ物としてもたらされた記録があります。1594年には豊臣秀吉の元に朝鮮半島で捕らえられたトラが生きたまま送られ、なんとこの大阪の地でも飼育されたことが記録として残っています。さらに1602年には徳川家康にトラ、ゾウ各1頭が献上され、家康はそれらを豊臣秀頼に贈ったという記録もあり、トラは時の権力者への貴重な贈り物として扱われていたことがうかがえます。

威嚇するトラ(撮影:大川光雄)
威嚇するトラ(撮影:大川光雄)

 天王寺動物園では1915年の開園時にはすでに1頭のトラを飼育していましたが、繁殖に成功するのは1953年のことです。以来、93年までに34頭のトラの子が誕生しています。この当時飼育していたトラはベンガルトラと表示していたこともありますが、亜種を確定できなかったことからトラという表示に変えました。しかしアジア各地でトラの個体数が激減していくなかで動物園の大きな役割である種保存に貢献すべく、91年からアムールトラという亜種に絞って繁殖計画に参画することとし、その飼育を開始しました。92年から97年までに天王寺動物園で生まれたアムールトラは22頭にも及び、そのうち順調に育った10頭は海外では中国の黒龍江省希少猫科動物繁殖センターや国内の動物園に譲渡してきました。
 すばらしい繁殖成績を残していた天王寺動物園でしたが、ペアが高齢化し、ついには雄親が99年に、雌親が2003年に亡くなり、97年に天王寺動物園で生まれた雌(アヤコ)1頭となり、繁殖が途絶えてしまいました。

生後3カ月のセンイチ(多摩動物公園提供)
生後3カ月のセンイチ(多摩動物公園提供)

 それを打開すべく2003年、東京都の多摩動物公園で生まれた雄がアヤコのもとに婿入りしてきました。名前は「センイチ」、その年、日本中を興奮のるつぼに巻き込んだタイガースの星野仙一監督(当時)にちなんで名づけられたこの幸運なトラの子が、アムールトラの新たな保護増殖の担い手として大阪にやってきたのです。来園時はまだ生後4カ月の子どもでしたが、今やアヤコよりも一回り大きくなり堂々たるトラに成長しました。長いお見合いも順調に進み、一昨年から同居を始めましたが残念ながら未だ子宝には恵まれていません。寅年の今年こそトラと縁がある大阪で大いに繁殖を期待したいものです。日本では24カ所の動物園で57頭のアムールトラが飼育され(2008年12月末現在)、国際的な繁殖計画のもとで保護増殖事業が進められています。

じゃれあうセンイチとアヤコ(撮影:とうしばやすこ)
じゃれあうセンイチアヤコ(撮影:とうしばやすこ)

 さて、私の干支もトラ、動物園に勤務して4回目の寅年を迎えることになりましたが、トラで印象に残ることは母親代わりにトラの子を育てたことでしょう。
 私が天王寺動物園に獣医師として奉職したのは1973年のことでした。あこがれの仕事でしたから毎日毎日が楽しくて仕方がないという日々。特に楽しかったのが朝一番に動物に異常がないかチェックするための園内巡視。いろいろな動物を間近で観察し、飼育担当者と情報交換し、食欲や排泄物のチェック、時に触ることのできる動物は触診したり。
 ちょうど寅年の74年8月2日の朝、トラの「タマミ」が出産したとの報告を受けました。タマミは神経質なトラだったのでトラ舎には担当者以外は近づかず、様子を見守ることにしました。ところがトラ舎の隣にあるライオン舎でもこの日、ライオンが1頭生まれていて、ダブルのお目でたになりました。続くときは続くもので、翌日はヒョウも2頭出産。大型ネコ科動物の連続出産にわくわくさせられました。しかしその次の日には一転、タマミの様子がおかしいとの連絡を受けてトラ舎へ急行しました。

人工保育中の筆者(1974年当時)
人工保育中の筆者(1974年当時)

 タマミはピクリとも動かず、そばには生まれて2日目の2頭の赤ちゃんがか細い鳴声をだしていました。呼吸している様子もなく、鍵を開けて産室に入るとタマミの体はすでに冷たくなっており、死後すでに10時間以上は経っていました。病理解剖をしてみると、タマミの子宮内にはもう1頭、腐敗した胎児が残されており、これが排泄されなかったために子宮破裂を起こし急死したと分かりました。
 残された2頭のトラの子はすぐに動物病院に運んで保育器に収容し、ここで肉食動物用の粉ミルクを用いて飼育担当者が育てることになりました。私も前年にライオンの人工保育を経験していたことから、このトラの子育てを手伝わせてもらいました。まだ目も開いておらず歯も生えていないトラの子はまるでネコの子と同じ。唯一、前後の足裏の異様な大きさがネコとは違うところでしょうか。哺乳瓶でミルクをもらい、すくすく育った2頭は生後3カ月で体重10kgを超え、国内の動物園に譲渡されて行きました。

おとなになったセンイチ(撮影:高橋雅之)
おとなになったセンイチ(撮影:高橋雅之)

 トラで忘れられないのは78年5月に生まれた3頭のトラの子です。母トラが生後33日目で育児放棄したため、動物病院で引き取り保育しました。この子たちもすくすく成長。3頭すべてメスでヨチヨチと後ろからついて来たり、じゃれかかってくるのはまさに飼い猫のようでした。生後4カ月から動物病院を離れトラ舎での 展示が始まりましたが、体重30kgを超えた生後6カ月頃でも、 甘えて来るトラにまだ触ることが出来ました。しかし病気予防のためのワクチンを接種する必要があり、彼らのお尻に注射をしたとたん豹変(トラだから虎変?)しました。あれほど母親のように慕ってくれていた3頭とも、注射の痛みが野生本能を呼び起こしたのか、以後は私たち獣医師の姿を見れば吼えかかってくるありさま。獣医師はつくづく損な役割だと痛感しました。
 トラの絶滅の危機は人間が作り出したもの。寅年にちなみこの地球上から消えようとしているトラとその生息環境のことを真剣に考えてみてはいかがでしょうか。トラの保護と繁殖が成果を収めれば、きっとタイガースも力強く勝ち進むと私は強く信じているのですが。

(宮下 実)