新米ゾウ係糞闘記


「春子〜尊敬すべきお婆ちゃんが教えてくれること〜」

  私がゾウ担当になったころ、最初の2〜3年は春子に本当によくいじめられました。脅威を感じることもありましたが不思議とあまり腹が立ちませんでした。ゾウたちとの付き合いも、もう6年。何十年と付き合っている先輩方にはまだまだ及びませんが、私の中では春子に対し飼育動物という感覚が全くなくなってしまいました。同じゾウであるラニー博子と区別するわけではありませんが、私にとっての春子はもはや人。老人ホームで一人のお婆さんの世話をしているような、そんな感覚でもあります。

最近の春子
最近の春子

 ゾウは雌と子どもたちからなる群れを作ります。そんな群れのリーダーになるのは春子のようなお婆ちゃんゾウなのです。ケンカの強さだけではリーダーにはなれません。たくさんの経験と知恵を持ち、仲間たちから尊敬される物知りなお婆ちゃんがリーダーになるのです。エサや水がなくなれば、仲間を連れて旅に出ます。いつどこへ行けばエサや水がある、お婆ちゃんには生きるための知恵がいっぱいです。怖い崖や沼を通らずトラやヒトがいない安全な道も知っています。仲間がケンカをしていれば間に入り、怖がる仲間がいれば寄り添ってあげる、そんな気配りや優しさも必要なのです。戦後の天王寺動物園で60年近くも群れのリーダーを務めてきた春子には、正にリーダーに相応しい経験と知恵、そしてプライドが備わっています。

来園時の春子
来園時の春子

 春子の新人いじめはただの楽しみだけではなく、人の心の中を探る目的もあるようなのです。ゾウにとって新しい飼育係を迎えるということは、私たちヒトの両親や子供、兄弟や恋人が違う人に変わるのと同じくらい大変なできごとなのです。他の動物のように、エサをあげるだけで人を好きになってくれるような簡単な動物ではありません。相手のことをとことん探り、納得できたヒトだけを家族の一員として認めるのです。春子は私を拒むためでなく、家族にふさわしいかどうかを試すために嫌がらせをしていたのです。60歳にもなるお婆ちゃんにとって、新しい家族を受け入れるなんて大変な苦労が必要なはず。でもそれを受け入れようとする春子はすごいゾウだと感心しました。経験も信用もなかった私には、春子の想いをただ真剣に受け止めることしかできませんでした。

 いろいろな人をゾウ舎に招き、春子と他人との関わりを見ていると、様々な接し方があって感心します。私たち4人のゾウ担当にもそれぞれレベルに応じた駆け引きをします。高飛車でえらそうな人には屈せず、謙虚な人には少し弱い春子。他の園からゾウに関わる同業者の方が来ると一般の方とは明らかに区別する春子。うるさくて私たちの言うことを聞かない子供たちを脅かすこともある反面、指示に従ってくれるおとなしい子供たちには鼻を触らせてあげるような心の大きい面も見られます。人の心の中まで見抜き、エサや上辺だけの親切にはだまされず自分の考えを貫く春子。つくづく凄いお婆ちゃんだと思います。そして春子は私たちの人に気づかれない地道な努力をきちんと見てくれている気もするのです。自分の苦しみをぶつけてくる反面、私たちの苦悩を受け止めてくれるような所もあるのです。春子の近くに寄った時、遊ばれながらも、ふと大きな安心感と親しみを感じることも増えてきました。プライドが高く頑固な現役お婆ちゃんは「ワシを年寄り扱いするな小僧!」と今日も私たちやラニー博子を全身で受け止めているのです。
(西村 慶太)