今年は丑年。私が動物園の獣医師を目指そうと思ったきっかけは実はウシ、12年ぶりに巡ってきた丑年にちなみ、あらためてウシという動物を探ってみることにしました。

ネズミからウシへの干支の引き継ぎ式(通天閣にて)
ネズミからウシへの干支の引き継ぎ式(通天閣にて)

 子どものときからイヌを我家で飼い続けていたこともあって、常に触れあえた動物がイヌでした。私が獣医師を目指したのも飼っていた愛犬の病死が原因でしたから、将来は動物病院でイヌなどの小動物診療を考えていました。しかしあこがれの獣医学科に入学した年の夏休み、北海道の別海村(現、野付郡別海町)の牧場に2週間、実習生として住み込んだことで私の人生は大きく変わってしまいました。そこで初めてウシという動物に接したのです。
 牧場では朝から晩まで乳牛の世話(乳搾りや糞(ふん)掃除、餌(えさ)作り、給(きゅう)餌(じ))や餌となる牧草の刈り取り、ミルクを入れた牛乳缶の運搬などをしたのですが、かなりきつい作業でした。なにしろ朝の6時前に起きて夜の8時ごろまで、3度の食事と昼食後1時間ほどの昼寝以外はひたすらウシ相手の仕事が続くのです。酪農家の仕事は大変とは聞いていましたが、1日の労働は休憩時間を除いてほぼ11時間、本当にすさまじいものでした。しかし私はそこですっかりウシに魅せられてしまったのです。イヌとは比べようもない大きさに圧倒されましたが、恐る恐る私がウシに触れ、お乳を搾り、餌を与え、採食を間近で観察し、食べたものをまた噛み戻す反芻(はんすう)を見ているうちにウシへの興味がどんどんつのりました。
 乳搾り(搾乳)はミルカーという器械で搾るのですが、それだけでは十分に搾りきれないため最後に手搾りをします。ところが最初は指の使い方が分からないため、乳房をいくら搾ってもお乳が1滴も出ないのです。要領を教えてもらってやっと乳頭の先端から温かな白いお乳がジュッジュッと出てきたときのうれしさは格別でした。時に気をつけなければならないのが足癖の悪いウシ。ウシの腹部の下に潜りこむようにして搾る際、後ろ足の回しげりを3度ばかりもらいましたが、バケツもろとも後ろに飛ばされ、バケツの中にせっかく貯めたお乳を頭からかぶり、足にはあざができる始末。

乳用種のホルスタイン種
乳用種のホルスタイン種

 それでも翌年は北海道根室市の牧場に4週間お世話になり、ますますウシに魅了されました。いつしか小動物からウシなどの大動物診療をしたいと思うようになったころ、大阪府立農林技術センター(当時)を見学する機会がありました。その時に雄ウシというものを初めて見ました。「でかい!!」というのが第一印象、そしてその恐ろしいほどの迫力に圧倒されました。北海道ではどの牧場でも飼育されているのは雌ウシばかりで、雄は飼育していません。雌は体重600kgほど、一方の雄は倍近い1100kgもあります。このあまりの大きさに感動すら覚え、これが誘因となってもっと大きなゾウやカバやサイなどの野生動物はどうやって診察するのだろうか、手術や麻酔はどうなっているのだろうと、ウシから野生動物へと目が移りだしました。2年後、今度は天王寺動物園に獣医実習に来て、ゾウやライオンなどの野生動物の診療がはるかに面白い仕事だと動物園入りを決意した次第です。
 さて、今年の主役であるウシは分類学的には哺乳(ほにゅう)綱(こう)偶(ぐう)蹄目(ていもく)(ウシ目とも言う)ウシ科の動物です。偶蹄目にはイノシシ、カバ、ラクダ、シカ、キリンなどの動物も含まれ、四肢の先端の蹄(ひづめ)が第3指(中指)と第4指(薬指)だけで体を支えるようになっています。イノシシやカバ、シカの仲間では第2指(人指し指)と第5指(小指)も有していますが、ラクダ、キリン、ウシの仲間はそれらの指が退化し第3指と第4指のみ。いずれにしても指の数が偶数ということから偶蹄目に分類されています。

ウシ科のエランド
ウシ科のエランド

 ウシ科の動物としてはおなじみのヤギやヒツジが含まれますし、特別天然記念物ニホンカモシカもそうです。天王寺動物園で飼育しているものとしてはヤギ、ヒツジ以外にエランド、トムソンガゼル、バーバリシープがウシ科です。広い意味でのウシはアフリカスイギュウ、アジアスイギュウ、バイソンなども含めますが、私たちが日常的に呼ぶウシというのは家畜種のウシを指している言葉です。

ウシ科のアフリカスイギュウ
ウシ科のアフリカスイギュウ

 ところでウシの祖先はオーロックス(原牛)という野生ウシで、このオーロックスをもとにして9千年以上も昔に西アジアで家畜化が始まったとされています。残念ながらオーロックスはすでに絶滅し、一方、家畜としてのウシは南極と北極圏を除けば世界中で飼育されている動物です。当初は荷物運搬の荷役用、田畑を耕すための農耕用などの利用が多かったのですが、食用としての役割が高まるにつれ品種改良が繰り返されて、今や800を超える品種があります。また世界中で飼育されているウシはなんと13億8千万頭(国際連合食糧農業機関2006年データから)、そのうち乳用種のウシは8千6百万頭ほどです。
 乳用種、すなわち乳牛というと皆さんがまず連想されるのは、体が白と黒のまだら模様のウシではないでしょうか。私が実習をした北海道の牧場ではすべてこのウシばかり、これはホルスタイン種といわれる乳用種の1品種で、お乳をとるために長い年数、品種改良を重ねて作り出されたものです。乳量では他の乳用種とは比べようもないくらい多く、平均的なホルスタイン種では1頭が1年間に出す乳量は6千kgくらい、多いものでは1万kg以上も生産する個体がいます。世界記録ではなんと2万5千kgという驚くべき量で、平均すれば毎日70kgほどのお乳を出したことになります。なんともすごいウシがいたものです。
 さて、ウシの重要な役割は食べ物としての利用でしょう。ステーキや焼肉など食肉として、あるいは牛乳の飲み物として、バターやチーズ、ヨーグルトなどの乳製品として、私たちの食卓に欠くことができません。気づかないところではウシの皮や骨から得られるコラーゲンは健康食品として人気がありますし、それを原料としたゼラチンはゼリー作るのに必要ですし、薬を飲む際のカプセルにも実は使われています。丑年の今年、牛乳を飲むときやチーズをつまむとき、ハンバーガーを食べるとき、ウシへ感謝をして飲食して欲しいものです。

(宮下 実)