牛の栄養学的特性
牛をはじめとする反芻(はんすう)動物は、人や犬、猫が栄養素として利用できない草を食べ、これをエネルギー源として効率よく利用することにより、ミルクや肉など良質なタンパク質を多く含む食料を生産できるという特殊能力を持つ貴重な動物です。
牛は人、犬や猫とは違って第1胃から第2、3、4胃まで4つの胃を持つ複胃動物で、このうち第1胃(ルーメン)が最大で、成牛では150Lにも達します。ルーメンには、いろいろな働きを持つ数えきれないほど多くの種類の細菌(バクテリア、1m?中に100億匹以上)や原生動物(プロトゾア、1mL中に50〜100万匹)などの微生物が棲(す)んでいます。草の主成分であるセルロース(注1)を、私たちの体の中の消化管で分泌される通常の消化酵素は分解できないので、人や犬、猫など単胃動物は草を有効なエネルギー源として利用することができません。
しかし、ルーメンに棲(す)んでいる微生物の中には、セルロースを分解する酵素(セルラーゼ)を持つものがいて、牛が食べた草やデンプンを発酵分解して酢酸、プロピオン酸や酪酸を主体とする揮発性脂肪酸(VFA)を作ります。VFAはルーメン壁から吸収され、血液を介して牛のそれぞれの組織に送られてエネルギーとして利用されます。牛のエネルギー要求量の60〜70%をルーメンが産生するVFAが賄っていると考えられています。ルーメンに棲(す)む微生物の力を借りてセルロースを分解し、エネルギーとして利用するという性質(微生物との共生)は、牛を初めとする反すう動物に見られる栄養学的特性で、消化管から吸収されるブドウ糖を主なエネルギー源として利用している単胃動物とは大きく異なっています。また、ルーメン微生物は死ぬと分解され、その菌体を構成するタンパク質は第2〜4胃を通過する過程で消化酵素により細かくされ、下部消化管からアミノ酸として吸収、利用されています。ルーメン微生物は、牛にとっての非常に良質なタンパク質源となっているのです。このように、牛は人や犬、猫など単胃動物が利用できない草をエネルギー源として非常に効率よく利用しています。
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プロトゾアや最近は草に含まれるデンプン(左)や
草の破片(右)を分解してVFAを作ります。
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ルーメン細菌叢(さいきんそう)と給与飼料の関係
ルーメン内の微生物は牛が食べた飼料の種類によって、その数や種類の構成(細菌叢)が大きく変動します。草など粗線維を多く含む飼料(粗飼料)が給与されると、ルーメン内のpHは中性の7前後となり、産生されるVFAの70%を酢酸が占める良い発酵状態となり、牛は健康を維持できますが、粗飼料の割合が20%を下回ると、酢酸の割合が減少して、逆に、酪酸やプロピオン酸の割合が増え、pHが低下してきます。pHが5以下では、さらに乳酸の産生量が増え、アシドーシス(注2)という病気になります。従って、ルーメン細菌叢を正常に保つことが牛の健康を守る上で最も重要なことになります。また、牛のミルクや肉の生産性は給与する飼料に大きな影響を受けます。沢山のミルクを作る、あるいは脂肪交雑(サシ)(注3)の高い高級な牛肉を作るためには、より多くのエネルギーが必要になります。
そのために、発酵性の高いトウモロコシなどの穀物飼料、いわゆる濃厚飼料を多給することになります。濃厚飼料が多給されると、ミルク中の脂肪含量が増す、あるいはサシが入るようになるいっぽうで、エネルギー過剰摂取により牛は肥満傾向となり、乳牛で分娩(ぶんべん)(注4)前後に種々の代謝障害や繁殖障害が起こり、ケトーシス、脂肪肝、産後起立不能症、胎盤停滞、難産などの周産期疾病(注5)が多く見られるようになります。発酵性の高い糖質の多給は肉牛ではルーメンでの乳酸産生を促進し、急性アシドーシスを起こすことが多くあります。これに伴い、pHの低下、ルーメン運動の抑制、唾液分泌の低下へと連動して、ルーメン粘膜の障害を誘発します。この状態ではルーメン粘膜の抵抗性が低下し、飼料中の異物などにより粘膜の損傷、潰瘍(かいよう)形成が起こりやすくなります。これらの栄養障害は、エネルギーの過剰摂取による肥満が発症原因となっており、肥満症候群と捉(とら)えてもよいかもしれません。そして、この時には、必ずルーメンの異常発酵を伴います。本来、草など粗飼料の給与に適応している牛に、その栄養特性を無視してエネルギー過剰の濃厚飼料を多く与えると、ルーメン細菌叢(さいきんそう)が異常となり、それに伴い種々の代謝障害が誘発されることになります。ルーメン機能を正常に保つことが牛の健康を維持することにつながります。
牛の健康管理
牛は本来、広い牧野を、あちこち動きながら、草を食べて生活してきた動物ですが、特に、日本では生産性向上のために、多くの牛を畜舎の中で集中して飼育管理するケースが目立ちます。そうすると人のメタボリックシンドロームと同様、運動不足とエネルギー過剰摂取の状態となってしまいます。その結果、多くの牛は種々の代謝障害にかかる危険性が非常に高くなっています。人など単胃動物が利用できない草を、ルーメンに棲(す)む微生物の力を借りて発酵分解して、エネルギーとして利用できるという特殊能力を持つ牛を、その特性に応じた適正な飼料で飼養し、適度な運動を行い、牛の健康を維持しながら、その能力を最大限に発揮できるように管理していくことが、牛にとっても、牛が生産したミルクや肉を貴重な食料として消費する私たち人間にとっても、最も大事なことなのではないでしょうか。
(あらいとしろう)
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