春子って「すごい」


 それは寝室の床の補修工事期間中の出来事でした。ラニー博子が寝室の床のコンクリートに穴をあけてしまい、工事中の約2週間はいつも使っている寝室とは違う寝室を使わなければなりませんでした。普通ならラニー博子春子の隣の寝室に移せばよいのですが、2頭のゾウは仲が悪いので隣同士の部屋では、おとなしく過ごしてくれないのです。
 そこで、春子を普段使っていない雄を飼育することを想定して作った“予備室”と呼ばれる部屋に収容することにしました。その部屋は2面がコンクリート壁、残りの2面は鉄柱で囲まれた頑丈な構造になっています。鉄柱の間隔も通常収容している寝室より狭く、13cmしかなく、鼻を出せない構造になっています。日中に一時的に収容したことはありますが、夜を過ごさせるのは今回が初めてでした。通常の夕方の収容時には飼育係が春子のいる部屋の中に入って、脚の蹄(ひずめ)に消毒薬をスプレーし、チェーンで前足を係留した後、餌やり作業を行いますが、この予備室では同室の作業は危険が伴うので行えないので、収容前に餌を室内に準備しておくことにしました。春子は慎重な性格の持ち主なので、食事が終わった後、慣れない予備室のいろいろな場所を探索したのでしょうか。朝になってから見ると鼻の届く範囲には触った形跡がありました。

アジアゾウの春子
アジアゾウの春子

 そして10日が過ぎた日の収容後のことでした。その日は収容後の楽しみとして、好物のリンゴやバナナなどをいろいろな場所に置いたり、隠したりしておいたのです。私たちが運動場の清掃を終わってゾウ舎に戻ると、予備室の外側の大きな蝶番の上に置いたバナナは残ったままで、春子は乾草を食べていました。夜の探索中に見つけて食べるだろうと思いそのままにしておきましたが、私がキーパー通路にある手洗いで手を洗って振り返ると、乾草を食べていたはずの春子が見えていないはずの蝶番の上に置いたバナナを鼻先でひょいっとつまんだのです。「なんで?」とよく見回すと、なんと、私が手を洗っていた手洗いの上の“鏡”に写っていたのです。手を洗う私を目で追って、鏡に写ったバナナを見つけたのに違いありません。ゾウは鏡に写った自分の姿の認識できるといわれていることは知っていましたが、実際に目の前でそのことが現実に起こると“すごい”思わざるを得ませんでした。

(尾曽 芳之)

部屋の中からは見えない位置においたバナナ
部屋の中からは見えない位置においたバナナ
鏡に写ったバナナ(再現)
鏡に写ったバナナ(再現)
工事中のゾウ舎平面図