ゾウの立ち会い

リンゴをご褒美にあげて獣医さんの顔も覚えてもらいます。

 天王寺動物園では始業時間の午前9時になると、飼育係は自分の担当する動物舎に向かって散らばっていきます。それぞれの動物舎では担当の飼育係が、これから動物を出す展示場に異常がないか、寝室の動物は元気かどうか、前日に与えた餌の残り具合や便の状況、動物の反応などをチェックしたうえで、次から次に動物を展示場へ出していきます。これが、動物園の一日の始まりで、通常は飼育係だけで黙々と作業が進んでいきます。このようにして、お客様が入園される9時30分には、とくに事情がなければたいていの動物が展示されています。ところが、ただ1種だけ獣医師が必ず立ち会うようになっている動物がいます。その動物はアジアゾウです。
 ゾウの飼育の仕方は、大きく分けて直接飼育と間接飼育との2つに分けることができます。直接飼育とは飼育係が寝室などに動物がいるときにその中に入って動物の世話をする飼育方法をいいます。この場合、動物と飼育係の間には壁や鉄格子はなどは存在せず、まさに動物と「直接」触れ合って飼育作業を行っているわけです。間接飼育とは動物と飼育係との間は鉄格子などで隔てられ、動物がいるときには、飼育係は、その中に入ることはありません。まさに、檻越しに「間接」に飼育作業を行うわけです。間接飼育では飼育係は鉄格子などにより動物による攻撃から守られています。通常は猛獣といわれる動物は全て間接飼育されていると考えてよいでしょう。アジアゾウは巨大で大きな力を持ち猛獣中の猛獣と考えられますが、天王寺動物園のゾウは直接飼育を行っています。実は、このことが毎日、展示場と寝室の間の出し入れに獣医師が立ち会う理由なのです。毎日アジアゾウが飼育係にどのように接しているか、機嫌のよさや元気具合などはどうかといった観察をしながら、飼育係が作業を行う間近で立ち会い、あってはならないことですが、危険な状態に陥ることがあれば、他の飼育係や獣医師に警報を送り応援を呼べるよう安全監視体制をとりながら仕事を進めているわけです。
 さて、ゾウの飼育係は現在4人で、実際にゾウに触れることができるのはゾウの飼育係としてベテランの2人だけです。2人のベテランのようにゾウに触れることができるようになるには10年以上もかかります。ゾウは大変知能が高く、50年以上生きることもある長命な動物で、その成長段階は人に近いと考えることができます。また、ゾウは、おばあさんとその娘、そしてその子ども(孫)というような女系の家族で暮らしています。そして、この群れは一番年上のメスゾウすなわちおばあさんがリーダーとなって率いています。また、群れの中の男の子は思春期になると、家族の群れから出て似たような若者同士の群れ、さらに年をとると一人暮らしになります。このような群れという社会を作るゾウ同士のコミュニケーションは非常に細やかで、例えば、群の中にお母さん以外にも子育てを手伝ったりするゾウがおり、危機には一致団結して当たります。飼育係は餌を与えたり、体を竹ぼうきでかいてやったり、ホースで水浴びをさせたりして、毎日動物と直接触れ合うことを通じてゾウから群れの一員として受け入れられるようになるので、これには長い時間が必要です。
 危険を伴う直接飼育ですが、毎日ゾウに接してゾウに触れることを通じて飼育係がゾウに受け入れられ、信頼関係を築くことによって、場合によっては強力な破壊力を持つゾウのパワーから飼育係を守ることができます。また、知能が極めて高いゾウたちの毎日の生活に適当な刺激を与え、よりきめ細かいゾウの世話をすることができるのです。朝夕の立会時には我々獣医師もゾウにリンゴを与えたり、体に触れたりして少しでもゾウに慣れてもらうようにがんばっています。

(高橋 雅之)