ブルとサツキの同居 『動物とふれあう』と『動物と触れ合う』では、まったく意味が違っているということが、理解されなくなっている気がしてなりません。野生動物にえさを与える人が優しい人という感覚は、僕にはまったく理解できません。それどころか、いかに破廉恥な行動なのかを理解して欲しいなと願ってやみません。野生動物に触れることも同様に謹むべき行動であると、そろそろ気づいていい時代になったのではないでしょうか。
 オランウータンのブルが死んだのは、ちょうど私が担当になって一年たったころでした。ブルは担当者にさえ、指一本触れさせようとしない凛(りん)とした男でした。とはいえ、けっして反抗的な態度をとることわけではありません。動物園での生活を自分なりに理解し、あくまでも自分らしくしているだけなのです。担当したてのころは軽く遊ばれていましたが、攻撃もしてきませんでした。死亡する前日、食欲が落ちのどが渇くのか、ペットボトルのスポーツドリンクを見せると、起き上がって飲みに来ました。最後は、さて飲もうかと起き上がった瞬間、そのまま後ろにゆっくりと倒れていきました。死んだ彼に触れることも、なんだか申し訳ない気がしたのを今もありありと思い出せます。
 野生動物に触りたい、特別なことだ、という気持ちはわからないではありません。しかし、それは人間にとってのふれあいであって、それを望まない動物もいるのもわかって欲しいです。そもそも、動物と触れ合う必要があるのでしょうか。お互いにそれぞれを理解し、尊重することが大切だと思います。ブルは死んでなお、触れられるのを拒んでいるだろうと思うし、それが彼のプライドであったと確信しています。
 野生動物をペットのように飼い、それが動物とのふれあいであるかのような風潮があります。動物園がそれを助長しているとすれば、憂うべき事態です。
『お前ら何にもわかっとらんなぁ!』そんなブルの声が聴こえてくる気がします。

(飼育課:早川 篤)