独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 中央農業総合研究センター     
上席研究員 仲谷 淳 

 亥年に楽しみにしていることがあります。正月にいただく年賀状は、皆さんも心待ちにしていることでしょう。イノシシが勢いよく走る姿は日の出とともに、新しい年の始まりによく似合います。縞(しま)のある子どももかわいく描かれます。この年賀状に書かれているイノシシの絵が楽しみなのです。というのも、この絵の中に、イノシシを誤解して描かれているものがたくさんあることに気づいたからです。ぜひ、この機会にその誤解についてまとめてみようと考えています。さて、どのような誤解があるでしょう?

単独生活をする雄
子どもを連れた雌

 誤解される項目は、親子などの社会、牙(きば)などの形態、そして猪突猛進(ちょとつもうしん)などの行動に関するものに大別できそうです。そこで、これらの項目について、これまでの研究成果をもとに誤解を解いてみたいと思います。ところで、干支にも数えられ、全国で年間20万頭も捕獲されるほどたくさん生息しているにもかかわらず、よく誤解されるのは、イノシシが森林、とりわけ里山の藪(やぶ)の中で生活し、ふだんその姿を見せることがないからです。
 まずは、社会についての誤解から始めましょう。イノシシはよく群れで行動するといわれますが、基本的には雌雄とも単独型の社会を持っています。2歳以上の成獣では、雄は単独で、雌はふつうその年生まれの子どもと生活します。子どもを除くと、母親は1頭で生活していることから、雌もまた単独生活者といえます。ただし、ときには血縁関係にある母親が数頭集まって大きなグループを作ることもあります。子どもは、母親が出産する翌春に独立します。その後、同腹の子どもはしばらく一緒に生活しますが、雄はしだいに単独となって生まれた地域から移出し、雌は留まってやがて子どもを出産します。
 雄は冬の交尾期での数日以外は雌と別れて生活し、子育てにも参加しません。母親と子どもが一緒に行動するためか、よく群れ生活すると言われますが、これは母親につく子どもたちを区別せずに数えたことによるのでしょう。4カ月齢を過ぎた縞の消えた子どもは、体の大きさをしっかり見ないと、親と区別できません。また、実際に姿を見ずに、藪の中を動くイノシシの音や声で、群れと判断したのでしょう。このため、雌雄が一緒にいたり、協同して子育てをするシーンは野外ではふつう見られません。

イノシシの頭骨図

  形態に関するもっとも多い誤解は牙についてでしょう。日本の動物の中では勇ましいイメージが持たれているためか、イノシシの牙もしばしば誇張されて描かれます。中には、前方に大きく突きだして描かれるものもよく見ます。しかし、実際のイノシシはこのような前に尖った牙を持ちません。牙は動物学的には犬歯と呼ばれ、イノシシでは生後6カ月頃に乳歯から永久歯へと生え替わります。雄では毎年およそ1cmの割で下顎(かがく)の犬歯が伸びますが、雌では2cmほどになると成長が止まります。犬歯の発達は雄だけに見られます。雄の牙は実際には頭骨図のように後ろ向きに伸びるため、やがて上顎(じょうがく)の犬歯と擦り合わされて伸びが止まります。私がこれまで測った下顎の牙の最長は約6cmでした。雌や2歳以下のイノシシ、とくに縞模様の残る子どもでは、ふつう犬歯は外から見えません。牙のでた縞のあるイノシシ、また、子どもを連れた母親に大きな牙があるのは誤解によるものです。余談ですが、以前、ある有名な博物館で底上げされた牙を持つイノシシの剥製を見ました。犬歯には歯茎から出たところに黒い線ができますので、上げ底の牙はこの線が歯茎からずいぶん上にあります。ハンターは自分の獲物を立派に見せるため、しばしば牙を引き出して飾りますが、博物館では困りものです。

縞のある子ども(ウリ坊)

 イノシシの尾はブタのように丸く曲がることはありませんし、意外と長い尾をもっています。成獣の尾は20cmを超えます。また、小さな子どもの体には茶色に乳白色の模様があって、瓜の模様からウリ坊、あるいはウリンボと呼ばれます。ウリ坊の絵では模様の濃淡が逆になることはありますが、縦横を違えたものは今のところ見たことがありません。この縞模様は、授乳期間が過ぎる生後4カ月頃から消え始め、6カ月もするとほとんど見えなくなります。
 最後に行動に関する誤解ですが、イノシシと聞くだけで、「突進される」、「襲われる」など、恐怖を覚える人もいるでしょう。しかし、実際は、じつに愛嬌のある、人なつっこい動物です。イノシシはその性格が穏和なことから、家畜化されてブタが作られたことはよく知られています。また、イノシシが滅多に走らないこと、わけもなく人に近づいたり襲ったりしないことは、その理由(とくにメリット)を想像するだけで誰にでもわかります。イノシシは他の動物を襲って食べる肉食獣ではありません。「猪突猛進」という言葉は、イノシシが人間やイヌに追われて必死に走る様から付けられた誤解です。人間も怖いときは一目散に走ります。必死で逃げるイノシシをとらえて、猪突猛進とは少しかわいそうな気もします。
 昼間に活動する習性は多くの研究者が認めています。人間を警戒する必要のないところでは、イノシシは昼間に活動します。六甲山は昼間にイノシシを観察できることで有名です。夜行性は人間の活動による二次的な習性のようです。ただ、昼行性、あるいは夜行性といっても、多くの動物は周りの環境や状況に応じてその活動パターンを変えると見たほうがよいでしょう。また、イノシシの清潔好きは格別で、泥浴びや毛繕いを欠かしません。これについては、年賀状の中の世界と一致しています。
 さて、頂いた年賀状の絵にどれほど誤解があるでしょう。たくさん見つけたいものです。最後に、あらためて、「あけましておめでとうございます、読者の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます」。

(なかたに じゅん)