DNA 生命をつなぐ不思議な糸

京都大学霊長類研究所 上野吉一


 

アフリカサバンナ区草食動物ゾーンのシマウマ
写真1 アフリカサバンナ区草食動物ゾーンのシマウマ

  最近動物園が注目されています。これまでのいわゆる“閉じ込めた”展示飼育から、より動物の本来の動きや生活そのものを見せることができる展示飼育へと関心が移り始めているのです。こうした動向は欧米では既に30年くらい前から始まっていて、ランドスケープイマージョンと呼ばれる展示技法や環境エンリッチメントといわれる飼育管理技法を生み出してきました。前者の技法のもととなるコンセプトは、動物の生息地環境を模写することです。すなわち、ある動物種が本来生息している環境を、動物を展示する入れ物としての施設だけでなくその周辺の様子もストーリー性を持たせて演出するという、動物園を訪れたお客さんに対する効果も含め全体的に作り上げるものです。後者は動物が野生状態において利用している生活環境の働きを、飼育環境の中に再現してあげようというものです。たとえば群で生活している動物は、1個体だけで飼育するのではなく、複数個体で飼育するというものです。あるいは、エサを探して動き回る動物に対しては、エサを見つけづらい所に置いたりして探し回る機会を与えるということです。環境エンリッチメントでは、必ずしも野生に似せた環境にする必要はないのです。これら2つの技法は似ている部分も少なくありませんが、目の向け方が異なっています。

 次に、動物福祉について少し考えてみましょう。動物福祉とは飼育している動物に対しより良い扱いをするように配慮しようという考え方です。たとえば動物園では、単に動物の姿形が見えていればよいのではなく、彼らの日々の生活の状態にも目を向けた飼育をしましょうということです。人間の福祉でいわれる「生活の質:QOL」と同じような考え方です。どんな動物も、エサを食べて、雨や寒さから逃れて、子供を作ることだけのために生きているのではありません。日々の生活の中で、仲間や環境とさまざまな関りを持ち本来持っている能力を発揮できることもとても大切なことなのです。しかし、私達人間は動物についていろいろ知っていますが、彼らがどうすることができればより良い生活になるのかはまだあまりよく分かってはいません。そこで動物園の動物はもともと野生で生活している動物ですから、野生での様子を参考にして生活環境を整えていく必要があります。ここで注意しなければならないのは、たとえばジャングルのように“見える”環境が大切なのではなく、ジャングルで生活する時に必要とする環境が持つ“働きを再現する”ことが大切だという点です。そのためには、動物についてまだまだ沢山のことを研究し、理解しなければなりません。そして、動物に何かしてあげた場合には、それが動物のために上手く役立っているのかを見直すことも必要となります。

アジアの熱帯雨林ゾーンのゾウ
写真2 アジアの熱帯雨林ゾーンのゾウ

 天王寺動物園では、Zoo21計画をもとに、これまで「アフリカサバンナ区草食動物ゾーン」や「アジアの熱帯雨林ゾーン」などといったランドスケープイマージョンの技法にもとづく生態展示施設を作ってきました(写真1、2)。現在もこの計画は進められています。このような取り組みはとても重要なことですが、予算も時間も大いに必要となります。しかし、動物に対する福祉的配慮はますます社会的に要求されるようになり、そうした要求に早急に応えることも大切です。少なくとも動物の飼育展示空間は、彼らにとってできる限り“使い勝手の良い”ものにする工夫が必要なのです。つまり、環境エンリッチメントをおこなうことになります。この考え方によって、チンパンジー舎の改修が、昨年の秋に実施されました。

 チンパンジーは多くの霊長類と同じように森の中で暮らしています。野生での調査から、チンパンジーは日中の半分以上を樹上で過ごしていることが報告されています。飼育環境での調査においても同様のことが示唆され、地上から離れた空間を3次元的に利用できる環境が必要だと考えられています。天王寺動物園のこれまでのチンパンジーの展示場(写真3)は、擬木数本が設置されその間をツタが回されていました。しかし、これでは登り降りはできても、地上から離れた場所を活発に動き回ったり、反対に落ち着いて休んだりすることがあまりできませんでした。あるいは日陰になる場所が少ないことから、強い日差しが差込むと展示場の南面にどれもが集まりがちでした。そこで、獣医師や飼育担当の方々と、何とかできないかという話し合いを3年前から始めました。今までの展示場の改修ですから、広さや高さなど制約も多かったのですが、擬木を生かしてその他に鉄骨でやぐらを組んでそこに丸太やロープを回し、さらに北面にある壁にも丸太で通路やベッドを設けることで、地面から離れた空間を造りあげ移動したり休んだりしやすくしてみました。こうして作られたジャングルジムは6m程の高さになりました(写真4)。果してチンパンジーはこのジャングルジムをどのように使ってくれるのでしょう。先に書いたように、環境エンリッチメントを施したら、それがどの程度の働きをしているのかをきちんと評価することが必要です。

 私達は、改修の前と後を比較するために、10時から15時まで、30秒おきに、この展示場の中で誰がどこで何をしているのかを観察しました。観察してみると、食べたり、お互いに毛づくろいしたりといった、1日の中での行動の割合には大きな変化はありませんでした。しかし、どこにいるのかという点では、メスが地上から離れた場所にいるのは改修前には日中の4割程度だったのに、改修後は6割にまで増えました。オスではそうした変化は見られませんでした。少なくともメスにとっては、今回の改修によって地上から離れた場所に行きやすくなったといえます。オスでなぜそうならなかったのかは、もう少し調べる必要があります。このように生活環境の質を上げる工夫を試み、それを評価し改善点を考え、新たな工夫を試みるというのが環境エンリッチメントの実際の作業になります。

 動物の福祉を向上させるためには、生態展示は難しいとしても、環境エンリッチメントは必須だといえます。環境エンリッチメントによって動物の生活がより本来のものに近づくことは、入園者にとっても生き生きとした動物を見ることができ、より楽しいものになるに違いありません。

(うえの よしかず)

改修前のチンパンジー展示場 完成間近のチンパンジー展示場のジャングルジム
写真3 改修前のチンパンジー展示場 写真4 完成間近のチンパンジー展示場のジャングルジム