天王寺動物園は今年、創立90周年を迎えました。日本で3番目に古い歴史を持つ動物園です。しかし、東京都恩賜上野動物園ではすでに123年を、京都市動物園では102年を迎え、堂々たるものですが、天王寺動物園は、まだまだそこまで及びません。
動物園は時代の移り変わりとともに、はやりすたりやブームの去来、或いはメディアの操作によって盛り上がりもします。ここ2〜3年は旭山動物園が話題として取り上げられ、それに刺激を受けて、よく似た施設を設ける動物園も現れ、話題性も豊富となり、再び動物園界が活況を取り戻している時期と思われます。
しかしながら昨今の動物園の管理運営は非常に厳しいものがあり、往時の隆盛はいにしえのかたり草となっているぐらいに入園者数が落ち込んでいます。天王寺動物園では芸の達者なスーパースター「リタ嬢」が活躍した昭和9年(1934年)には有料入場250万人を数え、この記録は未だに破られることはありません。ところが不名誉なことに平成14年には有料入場493,852名という開闢以来という悪い成績を残してしまいました。昨今の動物園離れは動物園に限ったことでなく、水族館、博物館、美術館など文化教養施設に共通して見られる現象で、最近のレジャー、アミューズメントの多様化が利用の選択肢を混乱させているのではないかと思われます。古くから家族等のコミュニケーションの図れる場として、或いは友達同士の語らいの場として安価で提供され、情操教育の場として、或いはレクレーションの場としても輝かしい成績を上げていた動物園も、現在では利用率が低下しているという状況です。極端な言い方をすれば昨今の殺伐とした社会現象は動物園、水族館など自然科学系の施設利用者が少ないため、動物や植物から学び取る命の大切さや価値を希薄にしています。
さて、90周年を迎えた天王寺動物園の歴史について簡単にご説明します。
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■天王寺動物園の発祥
天王寺動物園の発祥のルーツは明治17年(1884年)11月に付属動物檻を設置した府立大阪博物場が始まりで、当時の博物場は美術工芸品、各地の物産品、盆栽、菊花、観桜、能、歌舞音曲演奏などバラエティに富んだもので、おおよそ博物館というより博覧会のパビリオンか娯楽場のような様相が窺えます。ここへさらに動物の展示檻が加わったのですから、当時のレジャー、アミューメント施設が十分でない時代、見世物として十分に機能を発揮していたと思います。それを表すものとして明治32年(1899年)に31万5300名余りの入場者があり、無料化のあと明治41年(1908年)には85万1000名余りの入場者を数え、およそ博物館とはいえないほどの観客が詰め掛けています。このことから当時の書物に「大阪最大の楽園」と表されたほどです。この施設の動物檻が大正4年(1915年)1月に場所を天王寺に移して大阪市立動物園として継承され開園しています。
日本の動物園のルーツは安土桃山時代から続いている見世物興行に端を発していると言っても過言ではありません。この考えは天王寺動物園においてもライガー作りに見られるように、昭和50年(1975年)頃まで連綿と続いておりました。しかし、一方、昭和36年(1961年)からの9カ年計画で園内の展示施設の大改造を行い、檻のない無柵放養式と系統分類学展示を取り入れ、名実共に他園の模範となる動物園に変身しました。
その頃、欧米の世界ではIUCNが「世界環境保全戦略」を提唱し、その中で動物園、水族館に「野生動物の展示は丹念な教育計画により展示動物が生態系で果たす役割を理解させねばならない」、「野生動物の飼育は良好な飼育管理と増殖計画によって種保存に貢献しなければならない」と2つの原則を勧告しています。これに呼応してアメリカの動物園ではいち早く生態的展示を取り入れた環境一体型展示に取り組んでいます。
■ZOO21計画
天王寺動物園では昭和36年(1961年)からの9か年計画以降、30年余りが経過し、施設の老朽化が目立つようになりました。平成元年(1989年)には天王寺公園に多目的ドーム建設が持ち上がり、移転を含めた検討委員会が組織され、移転新設のプランが立てられました。しかし、これには膨大な予算を必要とし、動物輸送も困難を極めるという諸々の理由や周辺地域が衰退荒廃するなどの地元要望から存続が決定しました。
当時はバブルの絶頂期にあり、折角、移転新設のために計画した生態的展示を取り入れた動物園の将来計画を何とか生かせないものかと何度も見直しをかけ、平成7年(1995年)3月に「ZOO21基本計画」が完成しました。爾来、3期に区分した20数年のマスタープランに基づいて生態的展示の動物舎を建設することになりました。一部は遡って先行した「爬虫類生態館・アイファー」を初めとして、「水中透視のカバ舎」、「サイ舎」、「アフリカサバンナ区草食動物ゾーン」、「アジアの森・ゾウ舎」、そして現在、建設中の「アフリカサバンナ区肉食動物ゾーン」と計画が進み園地の1/3余りの改修を終えています。
■WAZA加盟
昭和21年(1946年)に設立されたIUDZG(国際動物園長連盟)は平成13年(2001年)には名称をWAZA(世界動物園水族館協会)に変え、水族館の加盟を促し、より強固で世界的な組織となりました。
天王寺動物園ではかねてからこの組織への加盟を熱望し、今から10年前の平成8年(1996年)からWAZAの年次総会に毎年、オブザーバー参加してきましたが、平成13年(2001年)には正式な加盟申請を行い、長期にわたる厳正な審査の結果、翌平成14年(2002年)にウイーンにおいて正式加盟が認められました。厳しい審査だけに加盟が認められたことは「世界的な動物園」という評価がされたことにつながり、責任と誇りを感じました。現在、日本では1組織(日本動物園水族館協会)と7動物園・水族館が加盟しており、世界全体では40数カ国170名が会員登録しています。会員数の多いのはアメリカ合衆国、次いでドイツ、イギリスの順ですが、経済大国としても、有数の動物園・水族館保有国としても日本から多くの会員加盟が望まれます。
ところでWAZAの目的とするところは環境教育と野生生物保護についての科学的研究、自然保護と飼育下動物の管理と繁殖についての国内外の協力、動物の倫理と福祉、市場調査、経営、教育、啓発、展示などですが、これらを各専門に分けて推進し、豊富な情報の提供と享受を行っています。会議に参加すると時代に即応した最も新しくて素晴らしい情報と問題点などが提起され、動物園と水族館の現状というものがわかります。
天王寺動物園はこの10年間に園内の1/3が展示の改革により環境一体型の生態的展示に置き換わり、行動展示(或いは行動学的展示)とは別の日本を代表する高い水準の展示となっています。WAZAへの加盟は国内の動物園・水族館の牽引役ともなっています。このあと10年、創立100周年に向けて、ますます飛躍する動物園であってほしいと願っています。
(なかがわ てつお)
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●カバ舎 |
●アフリカサバンナ草食動物ゾーン全景 |
●2000年オブザーバーとして参加したIUDZG総会
(アメリカ・リビングデザート動物園)にて
左から筆者、ビル・デンラー氏(トレド動物園長)
ジョン・コー氏(動物園デザインコンサルタント)
若生謙二氏(大阪芸術大学教授)
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