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■「私にとっての天王寺動物園」 天王寺動物園に獣医師として奉職し、33年目を迎えました。90年の歴史の三分の一を超える年数を天王寺動物園一筋に勤めてこれたことをうれしく、誇らしく思います。 生まれたのは大阪、まさに天王寺区の病院で私は生まれたのですが、銀行に勤めていた父には転勤が付き物でしたから、引越しが度々ありました。名古屋から大阪に戻ってきたのは幼稚園の時、社宅は大阪のど真ん中の南区(今の中央区島之内)にありました。動物園へは当時の路面電車で10分もかからないこともあり、よく来ました。昔の南門の近くに停留所があったので、そこから入園していたのでしょう、入ってすぐ目に付くホッキョクグマ舎、サル島、キリン舎、ゾウ舎などは鮮烈な記憶として残っています。大阪には小学4年生までいましたから、学校の遠足でも動物園に来ました。転勤で福井へ引っ越す時、同級生と別れるつらさよりも、動物にもう会えないという寂しさのほうが勝っていたのを覚えています。 高校2年の時に奈良に引越しましたが、動物園を訪れる機会はありませんでした。ファーブルに憧れて昆虫学者を目指していたのですが、3年生の土壇場で獣医師へ進路変更、そして運良く?大学受験に失敗したため、天王寺区にある予備校に通うことになりました。授業をよくさぼり、映画鑑賞、古本屋巡り、そして天王寺動物園へと足を向けました。動物園改造9カ年工事の最中で、檻や柵を取り払った無柵放養式のクマ舎やサイ舎、ライオン舎などの新しい展示スタイルに目を奪われたものです。 翌年、希望する大学の獣医学科に入学、当初はウシなど大型動物の診療に携わりたいと思っていたのですが、野生動物への関心が高まり、4年生の夏に天王寺動物園で動物病院実習をさせていただきました。私の希望する仕事はまさにこれだと思い、ちょうど採用試験があったことから躊躇なく、動物園の世界に飛び込みました。動物の生死と常に直面するだけに緊張と悲喜こもごもの毎日、そんな中でライオンの人工保育やオランウータンの出産、ライオンの骨折手術、アライグマの寄生虫研究など動物病院での仕事は生涯の思い出です。
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