飼育課 油家 謙二

2004年1月31日に「アジアの熱帯雨林ゾーン・ゾウ舎」が一般公開されました。
今回は、旧ゾウ舎時での準備から新ゾウ舎への移動、収容。その後の放飼、環境順応についてお話します。


旧ゾウ舎での博子

 旧ゾウ舎は1935年に建てられ、天王寺動物園の中でも、1番古い獣舎でしたが、たいへん頑丈に造られていたため、戦災もまぬがれ、数々のゾウを見守ってきました。しかし暖房設備がなく、またキーパー通路と呼ばれる管理通路がないため、作業に安全性を欠く。といった問題点もありました。そのうえ、最近では柱が錆びて穴があいたり、天井や壁のコンクリートがめくれてきたりとさすがに老朽化が目立ってきていました。

新ゾウ舎建設プロジェクト

 そういう訳で、新しいゾウ舎を造る計画がもちあがり、それに向けてのプロジェクトがスタートしました。このプロジェクトには、実際にゾウを飼育する私たち担当者もメンバーに加わり行われました。なぜかというと、ゾウを飼育するうえで、最も重要である「安全性」を抜きにしては考えられないからです。
 ゾウはとても体が大きく力も強く、また知能も高いため、飼育係ともし相性が合わなかったり、間違った飼い方をするとゾウが攻撃したりします。相手は体重が何トンもあるような生き物ですから、それが飼育係の死亡事故につながったりするのです。ですからプロジェクトの課題は『ゾウをいかに安全に飼育するか』『お客さんにいかに満足してもらうか』などを中心に議論を重ねてきました。これには実際にゾウに接している担当者の意見が最も重要であり、反映されなければならないのです。
 こうして新ゾウ舎の大まかなイメージが少しずつできあがってきました。が、ここで新たな問題が出てきました。それは、旧ゾウ舎から新ゾウ舎までどうやってゾウを移動させるかということです。

奥に見える建物が旧ゾウ舎。
手前は建設中の新ゾウ舎

 小さな動物なら、手でつかまえたり箱に取って移すことができますが、ゾウは陸上で最大級の動物です。天王寺動物園には2頭のメスのアジアゾウがいますが、若いラニー博子でさえ30年程、また年寄りの春子は50年以上も旧ゾウ舎ですごしており、これを今さら別の世界に出そうとしても、そう簡単には出てくれないことが予想されました。
 そして、ここでも皆が集まって議論を交わしました。その結果、旧ゾウ舎から新ゾウ舎まで鉄柵で道を作り、その中をゾウを歩かせて移動させる、という方法をとることになりました。もちろんゾウが好んで歩いてくれるとは思えないので、ゾウの前足に鎖を巻き、その鎖をチェーンブロックという機械で引っ張り、半ば無理矢理連れだすということになります。そのため、移動する2年も前から前足に鎖を巻く練習を何度も行うことになりました。

旧舎から新ゾウ舎へお引っ越し

 そして2003年4月、ついに移動の時が来ました。
 1日に1頭しか移動は無理だろうということで、まずは若いラニー博子から行いました。朝、さりげなくいつものように作業を行い、前足に鎖を巻き、上手く巻けたのを合図に移動作業開始です。作業には飼育係、獣医師など多くの人が参加し、ゾウをなだめて誘導する担当者の他、チェーンブロックを操作する人、一度進んだゾウが、また戻らないように馬栓棒を施すなど、それぞれが分担して行いました。
 その日、ラニー博子は、最初こそ嫌がってなかなか前に進まなかったのですが、しかしここで予想外のことが起こりました。1本目の馬栓棒(3本を設置)が閉まる音に驚いたラニー博子が自ら足音高く新ゾウ舎に駆け込んだのです。チェーンブロックを操作していた人達もあわてて避難したことはいうまでもありません。
 次は、年寄りの春子です。皆、春子の方が苦労すると予想していました。なにせ旧ゾウ舎ですごした時間が長いですし、歳をとるとガンコになりますし、実際春子はガンコな性格で、時々担当者の手を焼かせたものでした。
 案の定、春子は激しく抵抗しながら、想定体勢通りの後ろ向きで鉄柵通路へ入って来ました。これは旧ゾウ舎に戻りたいのに、チェーンブロックで無理矢理引っ張られたため起こったことですが、通路の中はゾウが反転できない幅に作ってあるので、最後まで後ろ向きのまま進むしかなく、抵抗するのも無理はありません。春子も不安だったのでしょう。途中で何度も神経便という下痢便をしました。全く知らない所に連れて行かれるため、恐怖を感じていることがはた目にもわかるほどでした。
 
新居に慣れるまで

新ゾウ舎に移動中のラニー博子
新ゾウ舎の寝室

 新ゾウ舎に移動が完了すると、それで一件落着というわけにはいきません。次は新ゾウ舎での寝室から寝室への移動。また放飼場への出し入れの練習をしなくてはなりません。2頭とも新しい場所ということで、全く落ち着かず、寝室から寝室への移動すら何日もかかる始末です。本来、動物は臆病で慎重なものですから無理もないのですが。
 そうして、日にちをかけ、少しずつ慣らしていき、ラニー博子から先に、放飼場へ出るようになりました。といっても足にロープを巻き、引っ張られたのがきっかけで出る気になったようですけど…。
 春子はそれからも、しぶとく抵抗を続け、放飼場に好物のサツマイモ等を置いても、外には出ず、舎内から鼻を伸ばして取ろうとして、それで届かないと後ろ足の片方だけを舎内に残して必死に取ろうとしていました。彼女の心の中では足が1本でも舎内に残っていると、出たことにならないようです。
 こうした担当者とゾウの攻防があり、03年の秋頃にようやく2頭とも安定して放飼、収容ができるようになり、ようやく一般公開のはこびとなりました。 アジアの熱帯雨林をイメージ
 新ゾウ舎は、タイのアジアゾウ生息地から農村をイメージして造られており、本来アジアゾウが棲んでいた山奥に現地の人達が入ってきて、森を切り開き、畑を作ったため、ゾウの生活場所がなくなり、畑の作物を取りに出てくる、といったゾウと人とのトラブルが問題になっていること等、環境問題を考える場にもなっています。
 また、観覧通路にはニシキヘビやサイチョウ、ゾウの糞(いずれもレプリカ)など、見たくて見られないキャラクターのような物も多くあり、これらを探すのも楽しみの一つだと思います。
 また、東西放飼場の間にある、ビューシェルターでは、間近でゾウの各部が見られるようになっており、ゾウの鼻先のようすや足の爪の形、数なども観察できると思います。(ゾウが近くに来なかったらゴメンナサイ)。
 他にも見る人によって色々な楽しみ方があると思いますので、皆様もぜひ新ゾウ舎「アジアの森」へお越しください。
 最後に今回のプロジェクトを進めるにあたって、ご協力いただいた他の園館の皆様、ゾウの移動に参加していただいた飼育係、獣医師の皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

飼育課 油家 謙二