日本イヌワシ研究会副会長 山崎 亨

 日本の山岳地帯には「イヌワシ」と「クマタカ」の2種類の大きなタカがすんでいます。「イヌワシ」なのになぜ「タカ」なの?と思う方もいるかも知れませんが、鳥の分類ではワシも「タカ目タカ科」に含まれているのです。
 また、タカやフクロウなどの仲間を「猛禽類」と呼びます。猛禽類は生態系の食物連鎖の上位に位置し、環境の変化に敏感なことから「環境指標生物」とも言えます。

(1)天狗伝説にもなったイヌワシ
 かつて、イヌワシは全国各地に700ペアほどが生息していたのではないかと推測されています。イヌワシの生息地には「天狗」という名がついている所が多く、今では「幻の鳥」となっていますが、昔はそれほど珍しい鳥ではなかったのかも知れません。

(2)イヌワシの生息場所
イヌワシは北アメリカやユーラシア大陸の草地や低灌木が分布する地域に生息しています。
 日本では北海道から九州まで分布していますが、中部地方から東北地方に多く、常緑樹が多い四国や九州ではきわめてまれです。
 これは、イヌワシのハンティング場所が低灌木地帯や草付き場、森林に隣接した崩壊地などのオープンエリアであるためです。

(3)広大な行動圏
イヌワシの行動圏はきわめて広く、1ペアの行動圏は21〜119Km2(平均約60Km2)もあります(日本イヌワシ研究会)。時には200Km2を越えることもあります。ペアによる差が大きいのは、日本ではイヌワシがハンティングを行うことが可能な場所が少なく、しかも散在しているためではないかと考えられます。

(4)主食はノウサギ、ヤマドリ、ヘビ
巣に運ばれる餌の約90%はノウサギ、ヤマドリ、アオダイショウなどのヘビ類でした。これは、同一地域に生息するクマタカが小鳥や小型のネズミ類からアナグマ、タヌキなど中型のほ乳類まで、さまざまな中小動物を捕食しているのと対照的です。

(5)営巣環境・営巣場所
イヌワシは多くの場合、山岳地帯の切り立った崖の岩棚に巣をつくります。このため、同じ巣を連続して使用することが多く、巣材がどんどん積み上げられ、巨大な巣になることもあります。

(6)絶滅の危機にあるイヌワシ
 現在、全国で生息が確認されているイヌワシはわずか175ペア(日本イヌワシ研究会 2000年調査)です。
 しかも繁殖成功率は1986年から急激に低下し、1991年には26.9%にまで落ち込んでいます(日本イヌワシ研究会)。とくに西日本での低下が著しく、1996〜1999年までの4年間における近畿での繁殖成功率はわずか9.7%です。また、九州では1983年に生息を確認して以来、1度も繁殖に成功していません。
 海外のイヌワシの繁殖成功率は50%程度で、日本でも1981〜1985年では50%近くありました。もし、今後もこのままの低い繁殖成功率が続けば、いずれは日本のイヌワシは絶滅してしまうのではないかと大変心配されています。

(7)絶滅の危機に陥った原因
日本イヌワシ研究会が実施した繁殖失敗原因調査によると、人為的要因としてダムや林道の建設工事、営巣地付近での伐採、営巣場所への人の接近などが報告されています。また、産卵しないペア、餌不足によるヒナの死亡、卵がふ化しないという報告が1986年以降に増加しています。
 このような状況になった原因としては、大規模なスギ・ヒノキの植林も考えられます。枝葉の繁茂した森林内ではハンティングを行うことができません。また、広大な人工林化によって森林内の中小動物の生息数が減少したとも考えられます。

(8)猛禽類の保護は環境の保護
猛禽類は餌動物の個体数の減少や環境汚染物質の蓄積など、環境変化の影響を敏感に受けやすい生物です。つまり、猛禽類は生物が豊富で健全な環境がなくては生存できないのです。
 このことから、イヌワシやクマタカを保護する対策を進めることは日本の山岳地帯の自然環境を保護することにもつながるのです。

(9)イヌワシを第2のトキにしないために!〜動物園との共同プロジェクト
イヌワシはふつう2卵を産みます。北アメリカでは2羽のヒナが巣立つことが多いのですが、日本ではほとんどの場合、2番目にふ化したヒナが最初にふ化したヒナにつつかれ、親から十分に餌がもらえず、死亡してしまいます。しかも、小さなヒナ2羽にとっては餌が不足しているとは思えない時に起こることが多いのです。
 なぜ、日本のイヌワシがこのような習性を持っているのか、はっきりとした理由は分かっていません。ハンティングエリアの少ない日本では2羽のヒナを育てるだけの十分な餌を確保することが困難なため、長い歴史の中でこのような習性を持った個体群だけが生き残ってきたのかも知れません。
 そこで、日本鳥類保護連盟では環境省の委託を受け、日本イヌワシ研究会会員や動物園水族館協会と共同で「イヌワシ復活作戦」に取り組んでいます。これは、ふ化しても死亡する運命にある2番目にふ化したヒナを死亡する前に救助し、卵がふ化しないペアに育てさせたり、動物園で人工飼育するというものです。動物園で育てたイヌワシは飼育下で繁殖させ、そのヒナを野外でふ化しない卵と交換し、その親に育てさせます。
しかし、このプロジェクトを成功させるには大変な労力と時間がかかります。厳冬期の危険な山岳地帯で連続してイヌワシの繁殖行動を観察しなければなりませんし、動物園の情熱と高度な飼育技術がなければ成功しません。
 それでも今、この取り組みを行わなければ本当に日本のイヌワシは絶滅するかも知れません。日本の山岳地帯の大空を天狗のように翔るイヌワシを失わないよう、みんなで頑張りたいものです。

 (やまざき とおる)
写真提供:片山 磯雄 氏